中学から女子校へ。前より明るくなったと言われた

私は、中学と高校を女子だけの空間で過ごした。
共学の小学校からエスカレーターで女子校に進学したので、中学に入り、どこを見ても女子しかいない世界に違和感を覚えた。

でも、そのうちあっという間に慣れた。
女子だけでやる運動会や文化祭、学芸会があんなに盛り上がるものだとも初めて知った。
何かみんなでやろうと目標が定まったときの団結力は、今思い出してもあれに勝るものはないくらい強かった。どの行事も大好きだった。
しかも私の学年はとにかく平和で、いじめもなかった。すごく人懐っこくてよく笑うし明るくて、たまにすごくうるさくて、でもやるときはやる人が多かった。
成績もとてもいい学年だったらしい。先生方にもよく可愛がられていた。

男子の目が気になってしかたなかった小学校高学年の頃を思うと、私にとって、中学で女子校に進学したのは大正解だったと思う。幼なじみたちから、前より明るくなったねと言われることも多かった。
実際、箸が転げても笑うという言葉通り、どんなに小さなことでも大笑いしていた。なんとえくぼが増えた。

そのあとダンスを習ったり、大学でカフェのバイトをしたときにも、私がいちばん褒められるのは笑顔だ。それは全て、中高をあの女子校で過ごしたからだと思う。
もし共学の中学に進学していたら、もっと人目を気にする、うんとおとなしくて笑わない人になっていたと思う。

男性が言ったらパワハラ、女性が言うのは「辛口」で済まされる違和感

大学は、学びたいことを学べるところを選んだ。そうしたら共学に行くことになったし、私の学科はちょうど男女半々だった。
進学した当初は、男性がいることへの違和感があった。男慣れもしていなくて、挙動不審になることも多々あった。でも授業や部活、バイトで、男女半分ずつの世界にも慣れていった。

どうしても、男子大学生と女子大学生にはなんとなく違いがあるように感じていた。
男はほんと馬鹿だからさ、と男友達に言われたことがあるが、そういうところに救われることはたくさんあった。
一方で女友達と、恋バナをしたり好きな芸能人の話で盛りあがったり、おすすめのコスメを教えあったり、そういう時間も大好きだった。

今私は、顧客が女性、しかも女性社員が多めでなぜか女子大出身者の多い職場にいる。
生理のときの体調など、女性ならではの悩みをよくわかってもらえる、そういう良さはある。

でも私は、自分が好きで選んで着た服について逐一ほめられるときなど、少なからず居心地の悪さを感じる。
何より、男性が女性にしたら確実に非難されることを、女性が男性にやっているのを目にすることがよくある。
顔がイケメンかどうか、性格が女っぽい、どの男性社員が嫌いなど、陰でも直接でも言ったりする。どれも男性が女性に言ったらパワハラと言われそうなのに、女性が言うのは「辛口」「毒舌」で済まされている。

これは、大学で男女半々の社会の縮図を生きていた私には、とても偏っているように思えて仕方ない。

女性にも男性にも、生きづらさはある

昨今、女性の生きづらさがたびたび話題にあがる。
日本の歴史のなかで、女性が下に見られてきた時間はあまりに長い。だから女性が声をあげられるようになったのは、とても素晴らしいことだと思う。
けれど女性が声をあげることで男性が萎縮してしまうなら、それは女性の声のあげ方がおかしい。男性にされてきたことをやり返すのはあまりにも幼稚だ。

そもそも、男性にも生きづらさがあると思う。偏差値の高い大学を出ることを求められ、あたりまえに一生働き続けることを求められ、「男らしく」いることを求められる。もし私が男性ならしんどすぎる。
そういうことを知るためには、男性といっしょに過ごす時間も必要なのだと思う。

自意識の強い思春期を女子校で過ごしたこと、そして社会に出る前に共学に通ったこと、私にとってはどちらもとてもいい経験だった。
どんな学校に通うとしても、社会には男性と女性が半分ずついることを忘れてはいけないと、たびたび心に思い直している。