先日、保育園に通う3歳の息子の運動会が行われた。演技や競技をひたむきに頑張る園児たちの姿。彼らを温かい眼差しで見つめ、心からの拍手を送る教職員や保護者たち。

心がほかほかするような、アットホームな運動会だった。この保育園にお世話になってよかった。今、そんなありがたい日々を送れるのは、2年前の決断があったからだ。

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私は息子が1歳3ヶ月の時に、彼を保育園に預けて復職した。でも、息子の保育園選びに対しては、ずっとモヤモヤしていた。その保育園は自宅から一番近く、徒歩で行ける距離だ。特段悪い噂も聞かない。だから選んだ。けれど私は、自分の本音に蓋をして保育園を決めたことを、ずっと後悔していた。

私は巷で言う、「自然派育児」みたいなものが好きで、息子が生まれた時からできることを実践してきた。なるべく布おむつを使う。お菓子や離乳食はできるだけ身体にいいものを食べさせる。自分の心地いい範囲で、自然に寄り添った子育てをしたいと考えていた。
だから、そんな趣向に理解がある保育園に、息子を通わせたい。同じような趣向の保護者と出会って、仲良くなりたい。それが本音だった。

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でも、そういった保育園選びで大切にしたいことを、夫にすら話すことができなかった。
保育園は余程の理由がない限り、自宅や職場から近いことが最優先。夫にも息子の送迎を担当してもらうから、私の変なこだわりで、夫の負担が増えたら申し訳ない。夫に「こだわりが強い面倒な妻」と思われるのも嫌だ。だから私は、自分の趣向に合う保育園があるのか、調べることすらしなかった。

案の定、自然派の保育園はちゃんとあった。それも、自宅から十分通わせられるエリアに。
私がそれを知ったのは、自宅近くの保育園に申し込んだ翌日のことだった。

ものすごく心がザワザワした。時間よ戻れ、と思った。せめて調べていれば。誰かに相談していれば。こんな気持ちにならなくて済んだのに。いらない忖度で本音に蓋をした結果だ。
自分の心と現実が、遠く離れるのを感じた。

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復職して息子の保育園生活が始まってからも、「まあいいや」とは思えなかった。保育園の対応に疑問を持つたびに「あの時、あの保育園に申し込んでいれば」とよぎった。
このままモヤモヤし続けるのが辛い。私は息子を保育園に入れて1ヶ月もしないうちに、通わせたかった保育園に見学を申し込んでいた。
見学をして、心から思った。やっぱり転園してこの保育園に通わせたい。

見学に行ったその日、夫に転園したい旨を相談した。ドキドキした。なんで?息子にも転園は負担だよ、と難色を示されると思い込んでいた。でも、違った。「そういう気持ちがあるのなら、転園を申請したらいいと思うよ」

夫は淡々と言った。心の中では、「面倒な妻だな」と思ったかもしれない。でも私はほっとした。夫と息子に申し訳ない気持ちは拭えないが、これが私の本音だ。

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結局、復職した初年度は、空きが出ずに転園は叶わなかった。けれど、翌年度の保育園の決定通知が来た時、そこには通わせたかった保育園の名前があった。嬉しかった。全くワクワクしなかった1年前とは違う。4月からの生活が、楽しみだった。そして、息子はその4月、保育園生活2年目にして2回目の入園式に出席した。

息子は転園した保育園に、すぐに馴染んだ。部屋でも外でも裸足で走り回り、服は毎日泥だらけ。元気いっぱいのクラスメイトに刺激を受け、めちゃくちゃ喋るようになった。私も、心のモヤモヤが晴れ渡り、夫から「なんかイキイキしたね」と言われた。

転園による心境の変化は、他にもあった。布おむつユーザーだとか、そういった自分の趣向を人に話すことが、怖くなくなった。アウトプットしてみると、意外と同じような趣向の人は近くにいる。自分で高いブロックを作り上げていただけだったのだ。

社会を変えたというよりは、自分が変わったのかもしれない。けれど、本音を怖がらずに言うことは、間違いなく自分が属する社会を変える。より生きやすく、心地よくいられる場所が見つかる。

自分の本音に耳を傾けること。それを叶えるように行動すること。その大切さは息子にも、今年の5月に生まれた娘にも、伝えていきたい。