自分に自信がなかった。

これといって得意なこともなく、いつもできないこと、足りないものばかりが目についた。
学生時代のテストは、丸よりもバツが目立ち、作文ノートは真っ赤に直された。
習い事も「頑張ってはいたんだけどね」と言われて終わってしまう。

そんなだから言われてしまうのだ。「出来損ない」「役立たず」と。
その言葉に傷つくのは、図星だからだ。「違う」と言い返せない。自分が一番わかっていた。 できない。役に立たない。他の人よりも劣る。 それは子どもの頃だけに留まらなかった。

「優秀なお姉さんには似なかったのね」と言われたこと。
「ブスのくせにモデル面するな」と書かれたDM。 自分でも薄々感じていたことを他人に突きつけられる。それは決定打だった。

できない自分が悪い。未熟な自分が悪い。全部、自分の責任。
数え切れないほどの「できない」と「足りない」に囲まれていた。
他人に言われるたび、認めざるを得なくて、惨めで、悔しかった。
できない自分にうんざりし、生きることがしんどいと思ったこともあった。
ずっと、ずっと暗闇にいるような気分だった。

そんな時、出会ったのが「かがみよかがみ」だった。
自分の胸の奥にあるモヤモヤした塊を、そっと言葉にした。

◎          ◎

2021年1月『「ふつう」を超えてゆけ』のテーマでエッセイを書いた。とても時間がかかった。自分の思いをうまく言葉にできていないかもしれない。下手かもしれない。でも、モヤモヤを昇華できるかもしれない。そんな想いで書いた。

2週間後、採用の連絡が来た。嬉しかった。心がスッと軽くなった。感想を読んだ時、込み上げてくるものがあった。共感してもらえる喜び、認めてもらえた嬉しさ。ここは、私を肯定してくれる場所だ。

そう気づいた時、私の中で何かが動いた。書くぞ。書き続けるぞ。私は、ここで出来損ないの自分を変えてやる。

火がついた私は、パソコンを買い、書くことに向き合った。2021年1月から、私は毎週更新するテーマを1度も逃すことなく書き続けた。その数は100本を超えた。30歳を迎えるまで、毎週欠かさず書いた。30歳を超えても、年齢制限がないテーマは書き続けた。初めは下手だったに違いない。でも、回数を重ねるごとに、少しずつ文章の表現も上手くなっていった気がする。

エッセイのコメント制度ができた時は、心温まるコメントをくれた人もいた。噛み締めながらコメントを読む。私の言葉が届いたと感じる喜びはひとしおだった。私、できないことばかりじゃないかもしれない。

そして、「かがみよかがみ」を通して、エッセイでつながったかけがえのないステキな友人にも出会えた。私の紡ぐ言葉は、誰かに届く。そしてつながる。
私の世界は、暗闇じゃない。
「かがみよかがみ」は、私の暗闇の世界に差した、一筋の光だった。

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私の芯は変わらない。でも、私はもっと、もっともっと変わりたい。できないことや足りないものばかり考えずに、前へ前へと進める人になりたい。
かがみよかがみに出会ってから、少しずつ変わっている自分がいる。だからこそ、自分は変われる気がした。
社会を変えるなんて大それたことはできないと思っていた。でも、今は社会を変えることは不可能だとは思っていない。

そして私の言葉は、誰かに、社会に届く力があると、信じている。
自信のなかった自分に言い聞かせる。
私が変われば、変えられないと思った社会も変わるかもしれない。
私は私を諦めない。私は私を信じる。私は社会を変える力をきっと秘めている。そう思った瞬間から、私も社会も、静かに、でも、確かに力強く動き出している。

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「かがみよかがみ」へ
私の人生を大きく動かしてくれてありがとう。
私ね、変わったよ。だから今度は私が、社会を優しくて温かいところに変える番だね。