「標準体型」がコンプレックス。毎日鏡の自分に「可愛い」と言ってみたら
私のコンプレックスは「標準体型」なところ。
韓国アイドルも、芸能人も、最近のティーンでさえも華奢で可愛い人ばかり。
SNSという身近になりすぎた存在のせいで、今日もまたたまたまスクロールして出てきた人の生活と自分を比べて嫌になる。
普通なだけなのに、その「普通」の基準がこの21世紀では普通ではない。
普通で、標準で、健康な私。ただそれだけなのに、そんな幸せないはずなのに、それがコンプレックスになる世の中って絶望的すぎる。
少し前の私なら、その絶望に飲み込まれていたのかも。絶望に飲み込まれなかった私。私が守ったものたちを少しだけ紹介しようかな。
どんな人でもダイエットをしたいと思う人は一度は持つ悩みなんじゃないかなと思う悩み。
私も例外ではない。
「ダイエットは明日から!」が口癖の私の1日の終わりに見る自分の脚は、それはもうパンパン。パンパンなのが当たり前だし、そもそも自分の細い脚なんか見たことないから、これが浮腫んでいるのかもただ太いだけなのかも分からない。
それでも、お肉がつまめる顔だけど、顎のラインがしっかりしているおかげで丸顔には見えない。
太い脚と大きなお尻だけど、BWHのバランスが奇跡を起こしてくれたおかげで体型はセクシー見えしてくれている。
ムチムチの二の腕も、鎖骨がしっかり出ているおかげで華奢見せカモフラージュに成功している。
大きな肌トラブルに巻き込まれたら即皮膚科に行くおかげで、デイリートラブルにはほんとんど悩まされていない。
顔の系統も多分綺麗系だと思う、可愛い系ではない。切長の二重も、最近カットしたオン眉ぱっつんの個性派前髪も、パパに似た鼻筋の通った鼻も全部好き。
そんなポジティブな自分のせい(?)で、ダイエットが全く身に入らない。
友人も家族も、誰も私を太っていると揶揄しないし、痩せた方がいいとどこか訳のわからないアドバイスをしてくるアンチコメントを送ってくる人もいない。
◎ ◎
そんなポジティブな自分になれたのは、もうずっと前。
私は「言霊」という言葉を知った小学5年生の夏休み。
毎月買っていた少女漫画に連載されていた、モテるためのテクニックを紹介してくれる漫画を熟読していた私。
そんな私を変えたのは、上目遣いで話すテクニックでも、目が合ったらニコッと微笑むテクニックでもなかった。
「夢は口に出してこそ叶う、信じる言葉が未来を変える」
たった一言だったけど、私の中に「自分を信じたい」と言う気持ちが芽生えた。
そして、その日から私は毎日鏡を見ては自分に「可愛い」と言ってみた。
それまでは自分のことを「可愛い」なんて微塵も思ったことがなかったけど、とりあえず私は「可愛い」の言葉を自分に渡した。
自慢でも、誰かと比べているわけでもない。
ただ自分だけでも自分の味方でいたいと、自分だけでも「私は可愛い」と褒めてあげたいと、心からそう思っていた。
私は私に可愛いを渡し続けた。
「可愛い」の魔法は自分を可愛いと褒める自分に「ありがとう」の気持ちをくれた。
ただ単純に、自分からもらった言葉が嬉しかった。
そして何より、私を褒めてくれる大切な人たちに、心からの「ありがとう」を送れるようになった。
そんなことないよ、という否定をしなくていい、ただ単純に嬉しい言葉を受け取れるようになったことが嬉しかった。
私は、自分からもらう「可愛い」で大切な私を守っていた。
今でも標準体型からは変わっていない。
綺麗な人が怖くてデパコスは買いに行けないし、みんなが知っているブランドのロゴが入ったキラキラしたお店には怖くて入れない。
でも私には「デパコス」がなくても、ブランドのマークがなくても生き抜ける武器を手にした。
私の武器は「自分を信じることができること」だ。

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