体重がだいぶ標準的に戻ってきたものの、わたしは、普通に食事を摂ることが難しい神経性やせ症、いわゆる拒食症を患って3年ほどになる。

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大学3年生のときに発症し、体重は半年間で20キロほど減少、160センチ26キロ台という、生きているのも奇跡といわれたほど、生死をさまよった経験をした。

それは、今思い返すと、ガラスの針の雨のごとく、ささやかながら細く頼りなげな命の綱渡りである。わたしはそれからというもの、普通に過ごすことーー階段を苦労なく上がることができたり、立ち上がるのも億劫ではないこと、お出かけを当たり前にできることなどーー健康だったときの「当たり前」は、誰かにとっては当たり前ではなかったのだと、病気になって初めて知った。

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さて、わたしは、高齢者の身体の辛さを理解できる節がある。年をとったわたしの祖父は、立ち上がるのも、かたつむりが葉を這うようにゆっくりで、よろめきそうになることもある。見ていて辛いと思うのは、わたしが20キロ台だったときの経験があるからだ。筋肉がないので、思い切り力をふんばらないと立ち上がることができず、ちょっとした段差にも、転びそうになる。当時は立ち上がることもしんどくて、毎日心と身体が引き裂かれそうないっぱいだった。雨水がたっぷりと染み込んだ、古民家のようだった。

だから、駅で荷物を持っている高齢者がいると、「お持ちしましょうか」と声をかけたり、優先して座席は譲ったり、できることは実践している。若いながら彼らの苦しみは少し理解している……と自認しているからだ。低体重のときは、身体が辛いことがコンプレックスではあったけれど、今は「あの経験をして良かった」と、胸を張って言うことができる。

コンプレックスをアドバンテージとした例を挙げたけれども、わたしは現在、体型についてのコンプレックスにひどく落ち込む日々が続いている。これは病気になってから生まれた、新しいコンプレックスだ。

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わたしは病状のせいで、他人がとても細く見える。自分は太って見えてしまい、痩せたいという思いに駆られ、細いスタイルの周りの友人が羨ましくて仕方ない。その羨望のまなざしは、なんと喩えたらいいのだろう。

暗闇で生まれた若い芽が、一筋の光を追い求めるようにーーそれがどんなにささやかであったとしてもーー本能的に手を伸ばしたくなってしまう、とても強い衝動だ。じっとこの感情を飲み込むことができなくて、泣いてしまったり、わあっと感情を日記帳に吐露したりする。一日中、自分の太った体型を考えて、痩せたいと落ち込むのに、それでも身体は飢餓状態だから、たくさん食べてしまって、さらに罪悪感に襲われる。

そういうとき、綿毛がそよ風に揺られるみたいに、少しずつでいいから、わたしという存在を消してしまいたいなと思う。死にたくはないけれど、この辛さに耐えかねて、この世から消えてしまいたいと。はたから見れば馬鹿なことのように思うかもしれないけれど、それで自殺未遂をした同じ病気の人を知っている。それくらい、ぴんと張り詰めた緊張感のなかで、生活をしている。

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いつになったら救われるのだろう、これはわたしが繰り返し心のなかで唱えている言葉だ。
ただ、この苦しさや悲しみを抱きながら、そしてもがきながら、生きていかなくてはならない。それはまるで、歩いていく道に氷柱がささくれだっていて、足を血だらけにして歩いていくようなものだ。

それでも、私はきっぱりと生きてゆく。そんなことを思いながら、私は目を閉じる。それが、きっと人生の糧になることを信じて。