10キロのリバウンド。「可愛い」と受け入れられた自分がうれしい
仕事として「モデル」ができるのは、自分を律することが趣味の特異な人たちなのかもしれない。そう思うようになったのは、6キロのダイエットに成功してからだった。
本当は、もう少し痩せるつもりだったのだけれど。それをせずダイエットに終止符を打ったのは、目標体重まであと2キロのところから、急に体重が落ちにくくなったからだ。おいしいものが大好きだし、仕事をもつ身でこれ以上運動するには限界がある。私はダイエットのためだけに生きているのではない。できることはやりつくし、これ以上体重が減らないのなら、それはこの数字が私のベストということではないか。ある意味開き直りのような心の着地が、私を終わりなき体型比較の旅から解放する鍵となった。
10年前の中学生だったころから、海外のスーパーモデルが好きだった。そのうちの1人は、おもちゃよりも健康ジュースをねだる子どもだったとどこかで読んだ記憶がある。そう考えてみれば、ほかの記事でも、モデルたちは運動や食事管理を楽しんでいるように見えた。体型管理は誰でもするものだが、それが「好き」といえるレベルではないと、モデルとして大成するのは難しいのだろう。
以前は、そんな彼らと自分自身とを比べて落ち込むこともあった。しかし、そもそも比べること自体がおかしいと「自分のベスト体型」をさがす旅を通して気がついたのだ。
モデルたちがスレンダーなのは、それが彼らにとってのベストだから。運動したり、健康的な食事をとることが彼らの喜びであり、彼ら「らしさ」なのだろう。
反対に、私は食べるのが大好きだし、引きこもりなたちだ。運動は、ストレス発散程度にしかしない。これが私にとってのベスト。「ベスト」とは、心身ともに健康という意味である。適度にスイーツを味わい、仕事終わりに心地よい運動で汗をながす。私は今のこのライフスタイルが好きだ。だから、これが「私らしい」生活で育まれた「私らしい」体型といえるのだろう。ヘルシーなライフスタイルを発信しているモデルたちは、私よりもずっとストイックに生活しているように見える。だが彼らもきっと、それぞれの生活と体型に満足しているにちがいない。
大人になってからも、彼らにあこがれる気持ちは変わらない。しかし、自分自身もアラサーになり、ダイエットの経験もしてから「あこがれ」の意味が少し変化したように思う。今は、比較して自分を卑下することがほとんどなくなった。むしろあのころ親しんでいた彼らが、30代、40代になった今もその美しさを保ち、第一線で活躍していることに感動を覚える。自分自身のベストを更新しつづけ、さらなる輝きを見せてくれる彼らの努力と矜持に目が向くようになったのは、10年かけて「私らしさ」の着地点を見つけられたからだろう。
世界中の誰もが自分らしく、それぞれの方法で輝いている。だから、自分と誰かを比べる必要なんてない。「ありのままの自分を愛そう」なんていう陳腐なスローガンが大嫌いだったが「ありのまま」とは持って生まれたものだけではない。自分の思考や癖、体型や習慣は、全て自分自身が築き上げたライフスタイルででき上がっている。自分が「選んだ」結果なのだから、ちゃんと尊重してあげようね。そんなふうに、見た目だけではなく、自分をとりまく全てのものを受け入れる言葉ではないかと最近思うようになった。
ダイエットに成功した私だが、最近はライフスタイルの変化にともない、10キロのリバウンドをした。昔なら絶望しているところだが、そんな自分も可愛い、と受け入れられる自分になれたことがうれしい。同僚とのお菓子交換や、彼氏とファストフードをほおばる時間。これらの愛おしい時間は、私のライフスタイルの新たな彩りとなり「自分らしさ」の土台になっている。
世間の基準に当てはめて「私は太っている」なんて嘆く必要はない。その背後にあるライフスタイルが、自分にとってどれほど大切なのか。そこを含めて「自分」なのだと気づいたとき、私たちの自己認識はどう変わるのだろうか。

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