「私まよさんのこと、この学生面談より前から存じ上げていました」

下ろしたてのリクルートスーツ。背筋はすっと伸び、表情は少し強張っている。就活の選考過程のひとつである先輩面談の先輩社員に私は指名された。面談がそろそろ終わる頃か、と時計を意識しだしたころ、彼女はそう言った。

私は人の名前を覚えることが致命的に苦手であり、いくら色々な記憶を引っ張り出してみても、彼女は私にとって「はじめまして」の存在であった。

「私、実はまよさんのエッセイを読みました。だから、先輩社員がまよさんと聞いて、本当に驚きました」。そして「直接お話うかがえる機会をいただけて、とても嬉しいです」と続けた。

社会人4年目の私がこの大役に指名されたの理由はただ一つ。私が双極性障害Ⅰ型であり、障害者雇用枠で入社した総合職であるからだ。

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19歳の春、双極性障害者となった。双極性障害は、気分が異常に亢進する躁状態と鬱状態を繰り返す。気分の異常に高まりは、誰にだってあることじゃない?と思われる人もいるかもしれない。しかし、誰にだって次のような気分の高まりがあるだろうか。例えば、自分が天才でありノーベル平和賞を取るのだという妄想に取りつかれる。

例えば、夜中にスーツケースを片手に家を飛び出し、そのまま一人暮らしを始めてしまう。例えば、近所の公園で暴れているところを警察に通報されてそのまま精神科に強制入院する。

反動の鬱状態も悲惨なものであった。躁で引き起こした様々な事件や迷惑、家族や友人にかけた心労と心配。全てが後悔という形で私に降りかかり、自己嫌悪と自己否定のループから抜け出せなくなった。ひたすら身体が重く、トイレに行くのもお風呂に入るのもエネルギーを絞りださなければいけなかった。友人たちが何も苦労せず人生を楽しんでいるように見え、嫉妬でおかしくなってしまいそうだったので、SNSを消し連絡を絶った。昼夜は逆転し、居場所を求めて深夜にネットの掲示板で人を叩いているスレッドに入り浸った。引きこもりは実に4年にわたった。

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その後、私は大学に進学し、卒業し、就職した。昨年には結婚して今に至る。薬は一生飲み続けなければいけないが、当時の私が信じられないことに、今私はすごく「普通の人生」を生きている。その回復には、環境、運、周りで支えてくれた人々。私一人だけの努力や力だけでは決してなしえなかった。全てに恵まれていた私は、とてもとても幸運だった。

「普通の人生」を取り戻しつつある中で、その幸せをかみしめた。しかし、私は「私だけが幸せで良いのか」と思うようになった。同時に自分の中に溜まった感情を吐き出したいと感じた。そして私はパソコンの前に座り、猛然と言葉を綴り始めた。

かがみよかがみにエッセイを投稿し続け、卒業までの2年間半で101本のエッセイが掲載された。障害についてのエッセイコンテストでも国内の最も大きなもので、最優秀賞を2度受賞した。今の日本で、双極性障害の当事者として多くの言葉を発してきた人間の一人だと、自分でも思う。

学生面談に話を戻そう。彼女は双極性障害の当事者であった。その彼女がいう。エッセイコンテストで受賞したエッセイを2本とも読んだこと。そのエッセイを読んで共感から泣きそうになり、勇気づけられたこと。就活選考を進めるにあたって、私の存在がとても大きかったこと。私の知らないところで、私の書いた文章は、出会った人の人生を変えていたのだ。そのことを聞き、私は胸が熱くなり、泣きそうになった。

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面談から数か月経ったころ、社会人になってからずっとお世話になった主治医が転院されることになった。最後の診察で彼女のことを伝えた。主治医はにこりと笑い、「少しずつ社会は変わり始めているのですよ。まよさんが発症した12年前と比べても、実際にそのことを感じませんでしたか?」

心あたりがあった。12年前に双極性障害であると伝えるとき、反応は「双極性障害ってなに?」というものがほとんどであった。しかし、最近人に障害のことを打ち明けると、「あの病気か!大変だったね」という反応が返ってくることが多くなった。「感じます」と主治医に伝えると、やっぱりね、と彼は柔らかく笑った。

障害に対する社会の反応は変わり始めている。本当に少しずつではあるが、良い方向へ。それは多くの当事者が声を上げ、多くの人がその声に耳を傾け、お互いが歩み寄り生まれた変化だ。声を上げた方だけでも、耳を傾けた方だけでも、この変化は起こらなかった。私の書いたエッセイが、その歩み寄りを一歩でも進め、社会の変化に貢献することでできたならこんな嬉しいことはない。いや、ほんの半歩でも。

私は変わらない。社会を変える。そのために、私はこれからも書き続ける。一人の小さな声でも社会を変えることができると信じているからだ。それが私の闘い方であり、私の生き方である。