私は変わらない、社会を変える。これは、私の一生のテーマかもしれない。
なぜなら、過去に自分を変える選択をしたことを後悔しているからだ。

自分を変えようと思ったのは、中学3年の時だ。
転校先でいじめに遭っていた頃、時代的にはまだ「逃げてもいい」なんて寄り添ってくれる概念もなく、あったとしても、夢と目標のために私はその中学に通わなければならない事情があった。

つらいつらいと思いながら通うのが本当に辛かったが、クラス全員の女子を変えることなどできるわけがなく、ならばと、私自身がつらいと思うことをやめることにした。それからは何も感じず、学校生活は快適になったが、当然、心身にとって最悪の判断だった。

その後いろいろあり、大学時代にドラマティックな展開を経て、私は自分に感じることを禁じた以上に、感覚を取り戻すに至った。取り戻すきっかけをくれた音楽家には本当に感謝している。

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そして昨年、私は感覚を取り戻したことを後悔するようなパワハラに遭った。
今ではもう、「逃げてもいい」という言葉がそこここを舞っている時代になっているが、
自分のすべてを毎日否定され、自信を失い、自身をも失いそうになっていた。
逃げる手段として転職活動をしたが、この自信喪失状態では都合よくうまく行かず、逃げ切るより先に左遷をされて倉庫に飛ばされ、強制的に環境が変わった。大幅に減給され、生活レベルも変わった。

こんな私に何ができるのか、というか、何かしないと生活が危機だった。
希望は見えなくても、もうあの時のように自分を変えて感じることをやめたりしない。
だから、感じたままを言葉にした。

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来た、見た、勝った、という、カエサルの言葉を思い出す。
書いた、出した、受賞した。国内外に文章系の作品を応募し、複数件受賞してしまった。
賞金も数件いただき、生活の足しになった。
嬉しさよりも驚きの方がはるかに勝っていたが、よくよく考えればこれは自然な流れだった。

大学時代、就職ではなく大学院に進学しようと考えていた。
研究したいことがありすぎて、何がしたいのかわからなくなってしまい、一番したくないことをしたら、一番したいことを思い出すのではないかと思い、悪名高い就活をした。
縁あって、就職することとなり、結果的にそれはそれでよかった。
それから約16年、思いがけず一番やりたくないことをやっている状態に陥っており、一番やりたいことを思い出すチャンスが巡ってきたのだ。

こんなところにいたくない、本来の自分らしいことを本業にしたい、ではその自分らしいこととは何かと思ったときに、ずっと自分の奥底で燻り続けてきたことに向き合い、自然と言葉を紡ぐことに心と頭と手が動いた。

世界に自分の言葉が受け入れられたことが大きな自信になり、しかもそれが、自分が一番やりたかったことで得た結果だったことから、私は私のままでいいという確信を得られた。
そして、最高のタイミングで転職も叶った。

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転職活動をする際、アドバイザーに驚くべきことを言われた。

「パワハラを転職理由にしない方がいいです。同じようなことがあったらこの人は退職してしまうという印象を与えてしまいますので」

ネガティブな理由を転職理由にあげない方がいいのはわかるが、そんな会社は願い下げだ。
こんなことをアドバイザーが言うことも驚きだが、これもまた現実なのだろうということを思い知らされた。

今私は主にエッセイを書いているが、言葉の力で、いじめやパワハラがあって当然のような世の中を変えたいと本気で思っている。
変わるべきは加害者の方、加害者を生む環境なのだ。
一度は変わることを自分に強制したが、もうそんな選択はしないと心に決めている。