双極性障害、とは。気分が上がりすぎている「躁」の状態と気分が下がりすぎている「鬱」の状態が交互に繰り返される病気のこと。
社会問題にもなっている「うつ病」とは親戚のような病だ。

私、水無月藤香は高校2年生のときにうつ病(のちに双極性障害と診断される)と言われ、大学進学を一旦諦めた。
普段はライターとして記事を書いている。今回は私の病と恋の話。

「らしく」に重点が置かれるこの世界。双極性障害らしさって何だろう

この世界って、「らしく」振る舞うことに重点を置きすぎているように感じる。
例えば、恋人と別れたら、本人はそう思わなくても、不幸そうに振る舞わなければ、白い目で見られる、とか。
平気なふりをしていると、「本当は遊びだったんでしょ」「本気じゃなかったの?」と言われる、そんなような。

双極性障害らしさって何だろう。おとなしく家で静かに療養することだろうか。それとも部屋の隅っこでしくしく泣いていることだろうか。
自分は双極性障害でも、調子の良いときには母親と猫カフェに行ったり、恋人とデートしている。一見「普通の人らしい」生活。

私の周り。家族と、友人と、恋人。特定のコミュニティに属していないので、人と関わる時間はめっきり減ってしまった。
それでも残ってくれる人は、私のことを、良い方向に普通の人扱いしてくれる。病気になったことは言っても、扱いが変わらない人がほとんどだった。
過度に心配はせず、かといって冷めている訳でもない。心地良い関係。しかしこの関係性が稀有であることは私が一番分かっていた。

精神疾患を抱える人も己のキャパシティーを理解して、恋愛すれば良い

精神疾患を抱えている人が恋愛をしたら、大変なのは事実だ。心の調子が安定しないので、相手への不信に繋がるし、相手も不安が自然に生まれる。
「精神疾患を持つ人は、恋人を持たず、一人で生活するべき。それが"らしさ"だ」という考えの人は少なくないだろう。もしかしたら読者のあなたもそう考えているかもしれない。

しかし私はそう思わない。己のキャパシティーを理解して生活して、恋愛すれば良いと。だって精神疾患を持たずとも不安定な恋愛をする人間はいくらだっている。だから双極性障害でも、私は恋人と支えあいたい。
現に彼は私を希死念慮(死にたいと思う気持ちのこと)の渦から救ってくれた。むしろ精神疾患持ちの人は恋人を作って生きる意味を見つけることを、私は推奨したい。

私は病気の寛解(かんかい、完治とは言えないが、病状が穏やかな状態のこと)を目指している。精神疾患はその性質上、完治が難しい。再発だってする。
しかし、それでも私は恋人のために健やかに生きたいし、恋人を支えられるくらいお金を稼ぎたい。これはちょっとした野心だ。

病気だから、とチャレンジする気持ちを捨ててはもったいない

双極性障害。私はこの病気の存在を何度恨んだことだろうか。この病気になっていなければ、私は今頃友人たちと楽しく大学に通えたかもしれない、と。
しかし、大学で通うことは強制ではない。ライター業をしている今もけっこう楽しい。元気になったら通信制の大学でも通えばいい。通いたくなったら。

恋人とも上手く暮らしたい。いずれは同棲をして、家事をして恋人に寄り添いたい。お昼には愛妻弁当を作って、彼に食べてもらうのだ。
病気だから、とチャレンジする気持ちを捨ててはもったいない。やれるだけのことはやりたい。

私は、「らしさ」を捨て、ありのままで、病気と向き合いながら、生きていく。