ワタクシ、まよ、28歳。現在絶賛人生迷い中である。
実は、持病の双極性障害のうつ症状を悪化させて、6月より休職しているのだ。なかなか右肩上がりに回復とはいかず、この文章を打っている翌日(7月7日)からは、2週間入院する予定だ。

皆さんもご存じであろう、気分が落ち込む鬱状態。逆に異常に気分・テンションが高揚し、無敵感・万能感に包まれ、不眠不休のまま動き回る躁(そう)状態。
双極性障害とは、この対極にある二つの精神状態を行ったり来たりする、さながらジェットコースターのような病気なのである。

◎          ◎

鬱状態で休職に入った私も、この4日間で、これで3本目のエッセイの執筆だ。アイディアが止まらず観念奔逸。明らかに躁状態である。
休職しているのだから、体調・心調(しんちょう、とは私の造語だ。身体の調子、という言葉があるならば、心の調子を表す言葉があってもいいと、この10年間その必要性を強く感じ続けている)が回復したら、元の職場に復帰すればいい。
ありがたいことにホワイト企業、周囲の人間関係も温かく、福利厚生も抜群である。戻らない手はない。普通の人ならそう思うだろう。

でも躁状態の私はそうは考えられない。これは元々ライターやジャーナリストになりたかった私への天からの、転職すべきというメッセージなのでは、とまず考える。
いや待て待て。もしかして、以前から行きたかったドイツやカナダへのワーホリに挑戦するチャンス?世界一周とかしてみたーい。お金もそこそこ貯まったし、大学院に入って勉強しなおすのも良いチャンス?それとも通信制大学に入学して、英語の教員免許を取得して、手に職をつけるのもありだな。あー、ライターや編集の専門学校へ行きたい。ボランティアライターに応募してみる?ぽっちゃり体型の私でも挑戦できるぽっちゃりモデルに応募するのもありだな。

そんな未来を悠々と思い描く一方で、次の瞬間には、会社を辞めたら貧しくなって、家族や恋人、友達からも呆れられ見捨てられる。将来的には後悔しながら一人で孤独死する、などと暗澹たる将来を思い描き、苦しくなる。そんな妄想もしてしまう。

突飛すぎて呆れられると思うが、病的に気分が移り気なときの私は、ここまでコロコロと気分が変わる。自分に軸がないので、読んだ本、話している相手、日ごと、時間ごと、瞬間ごと。やりたいことは変化していく。自分で自分に振り回されぐったりする。

◎          ◎

そんな自分に軸がないとき、決まって私が会うようにしているのが、中学時代からの親友のMちゃんだ。
Mちゃんは見た目軽薄そうなギャル。でも他人の意見に左右されることなく、自分をしっかり持っている。

「こんな風に色々選択肢を考えてしまう。後悔する人生は送りたくないんだけど、どうすればいいと思う?」
Mちゃんを自宅に招く。ミルクティーを彼女と自分のために作り、すすりながら告白した。
「まずさー」とMちゃんは語り始める。
「後悔しない人生なんてないからね?」
え。世の中には「後悔しない人生を送るためには」という指南書が溢れている。でも彼女は後悔しない人生はないという。
だってさー、と彼女は続ける。
Mちゃんはいつもは早口だ。日本語習いたての外国人からしたら、スピードラーニングの教材のようだろう。そのMちゃんがゆっくりと話す。言葉を慎重に選んでいるからだろう。

「後悔なんてどの道を選んでもどうせするよ。ああ、あのときこうしておけば良かった、とか、ああしなければ良かったとか。でもどうせ後悔するんだから、選んだ道が自分にとって正解になるように、意地になって頑張るしかないんだよ。意地になって。正解に寄せていくんだよ。そして、まよ、」

ミルクティーを一口、口にし、こう言い切った。
「決断を人のせいにしない未来を選べ。自分で選べ」

中学からの悪友であり、親友。いつも隣にいてくだらないことをやってきた彼女の言葉に、私はその時心が動き震えた。
決断を人のせいにしない未来を、自分で選ぶ。
できるのだろうか、甘ったれの私に。

◎          ◎

発病してから10年、主治医からは度重なるごとに、「症状がひどいときに、大きな決断をしないでください」と言われている。だからまずは入院してしっかり休もう、それが最優先課題だ。
そして、この文章が採用されたとして、かがみよかがみに実際掲載されるまで、1か月から2か月ほどかかる。その時には、少しは体調が良くなり未来のことをもっと冷静に考えられるようになっているのだろうか。そしてそのとき私はどの方向を向いているのだろうか。いや向きたいのであろうか。
いずれにせよ、そのとき私の背中を押してくれるのは、Mちゃんの「決断を人のせいにしない未来を、自分で選べ」というあの言葉だろう。