双極性障害になった大学四年の秋。浮き沈みの激しい気分に悩まされた
「出版社に就職することが夢」
そう豪語していた私の人生計画が崩れたのは、大学四年生の秋でした。
出版社は春から夏にかけて惨敗し、中小企業に狙いを定めようとしたときには時すでに遅し。
私は双極性感情障害、いわゆる躁うつ病にかかっていました。
当時の恋人には、とても迷惑をかけました。ひとりではいられないのです。ひとりでいると、闇夜が私の全身を覆い喰らうような感覚に陥って、不安と恐怖で押しつぶされそうでした。直接的な言葉を使えば、死にたくてたまらず、恋人の家にある包丁で自死しかねない状況でした。
今思い返せば、正気ではありません。
しばらくは恋人の家にお邪魔して、半同棲のような形を取る事になりました。
一日の間で、気分の浮き沈みが激しく、よく喋ったり、反対にあまり喋らなかったり、イライラしたり落ち込んで泣いたり。
特に夜が酷かったです。恋人が寝静まった後、窓の外を眺めて泣いていました。
病院に通っていましたが、そもそも病院での治療を半信半疑で受けていた私は、本当に躁うつ病なのか疑い続け、あるひとつの答えにたどり着きました。
「頑張らないと普通になれない」その現実を受け入れられなかった
それが発達障害ASDでした。
発達障害は今になっては広く知られつつありますが、自分がそうかもしれないと医者から話されたとき、戸惑いました。
そして、検査結果は発達障害ASDのグレーゾーン。「定型の人達より、ASDの特性がある」との診断でした。
それを知ったとき、受け入れられませんでした。今まで普通につまづかずに過ごしてきたはずなのに……。
医者からはこう言われました。「普通の人より少しだけ不器用で、頑張ればできる」と。つまり、頑張らないと普通のようにはなれないということになります。
私は、悲しくて、情けなくて、また泣きました。
人より少しだけ不器用な私は、軽い躁うつ病にかかり、もう夢を追いかけることはできない。
大好きな本を読むことすら、ままならなかったです。もしかしたら、そのときが一番ショックだったかもしれません。
人を社会を頼らずには生きていけない。そんな私にできた新しい夢
正直なところ、人に頼らずとも生きていける人たちが羨ましいのです。なぜなら、それだけ「できる」人たちだからです。できるから、人に頼らなくても自分の力だけで挑戦できる人たちだからです。
私は、もうその選択はありません。人を、社会を、頼らずには生きていけません。
ASDにとってコミュニケーションが最も苦手なのですが、そうも言ってられないようになってしまいました。
ここまで、悲しかった出来事を話してきましたが、最近は病状も安定し、だいぶ心安らかに過ごすことができています。それもひとえにいろんな人に頼り、支えられて生きているからだと思います。
そして最近、新たに夢ができました。
それは文章で誰かの心を支えることです。私の経験談を共有し、つらさや悔しさ、悲しさを共感し合い、少しでも一緒に心を軽くさせることができたらと思います。
そのために、まずコミュニケーション能力を高めようと思います。
この文章が誰かの心の重荷を解いてあげられますように、願っています。