小学生以来、海やプールへ泳ぎに行っていない。
人の視線への恐怖と気まずさが、楽しい思い出を作ることを許してはくれないからだ。

わたしの体の変化に最初に気がついたのは母だった。通年半袖半ズボンチャレンジをするくらい男勝りな性格だったわたしは、休み時間には男子と一緒に校庭を駆けまわって小学校生活を過ごしていた。

小学3年生になってしばらくしたある日、母に地元の大きなイオンに連れられて
「あなたは遺伝的にもう必要だと思うから。」
と白いスポーツブラを買い与えられた。
前触れなく唐突に訪れた、意味不明なブラジャーデビュー日だ。

当時のぼんやりした記憶でこびりついているのは、体育前後の着替えの時に自分以外に身につけている子がいなくて、「〇〇ちゃん、それ脱がないの?」と言われたこと。ひとりだけ普通じゃないという現実を突きつけられながらも訳もわからず白いそれを着続け始めた。
毎日。365日。

たった一言で胸が大きいのは恥ずかしいことだと植え付けられた

平均より早いブラジャーデビューから1~2年で、
白いスポブラは、ワイヤーの入ったブラジャーへとグレードアップすることとなる。
最初の頃は、着方が良くわからないし、ワイヤーのところが違和感あるし、イライラしながら朝食を食べていた。

たしかワイヤー入りブラは着け慣れた頃に、体の動かしやすさに感動した覚えがある。当時習っていたアクションで、マット運動やトランポリン技をするとき、重さとか揺れを気にしなくて良くなって、初めてブラの存在意義を見出せた。しばらく胸のことについて特に考えない時期が続いていたが、同じ教室に通っていた5つくらい歳の離れた男性に言われた一言で、そんな日常は二度と帰ってこなくなった。

「最近、胸大きくなったよね?」

一瞬、この人は何を言い出したのかと、言葉を咀嚼するのに時間を要した。理解をし始めたら、恥ずかしさが足の裏から頭のてっぺんまで
ゾクゾクっと全身に湧き上がってきた。ただただ恥ずかしかった。恥ずかしくて、でもそんなこと母親以外から直接言われたことなかったからなんて返答していいか分からなかったし、とにかく不快だった。

自分は胸が大きい+胸を見られる=恥ずかしいという感情はこの瞬間染み付いた。

気に入ったブラもドレスもサイズが合わず、試着室で溢れた涙

自分は胸が大きい+胸を見られる=恥ずかしいという思考が脳裏に焼きついてから、人の視線にさらに敏感になった。道を歩いていても、電車の中で立っていても、初対面の人と自己紹介する時も、「見られている」という恥ずかしさと不快感がどこか拭えなくなったのだ。
自意識過剰と言われたら間違い無くそうかもしれないが、相手が男性だとさらに警戒心を持たずにはいられないようになった。

どうにかしてこの負の思考ループから抜け出して気分を上げようとせめて可愛いブラを身につけようと決意してお店に見に行ったはいいが、ブラはサイズが大きくなるほど布の面積が増えて値段は高いし、一見おしゃれだと思ったものも、サイズの作りがなかったり、後ろから大きいサイズを取り出すと全然可愛くなかったりして、気分が良くなるどころか、落胆する事の方が増えていく最悪の展開に。

極め付けに一番ショックだったのは、いとこの結婚式に参列するためにドレスを買いに行った日、気に入って試着したドレスが胸がドレスのラインを崩してしまったり胸のところでジッパーが上がらなくなったりして、連続して12着も購入を断念したこと。あまりにも惨めで、フェイスカバーを握りしめながら試着室で涙を流した。

最強のロールモデルと出会い、大きい胸の取扱い書を改訂

高校生くらいになると、周りから「羨ましい!」とか「わたしも胸がおっきくなりたい!」とか「何したらいいの?」とか聞かれることが増えて、今まで以上に胸に関する話題に辟易していた。

諸悪の根源でしかない脂肪の塊とずっと添い遂げなければいけないという現実を憂いていた当時のわたしを、見違えるほど前向きな考え方に変えてくれたのは、たまたま金曜ロードショーで出会った、最強のロールモデル、峰不二子だ。
セクシーな女性の象徴とされている彼女は、容姿から伺えるイメージとは裏腹に、自分を決して安売りしない。時には自身の美貌と黄金比とも称されるその体を武器としながらも並外れた知性と交渉術をもって殿方の要求をかわしていく。
色んな人からの視線に平伏さず、巧みに利用し、
最終的には自分にとって利益があるように行動できるそんな彼女は画面の中でとても輝いて見えた。

もちろん、現実社会は彼女が描かれる世界よりも予測不能で、わたしは平凡な一人の女性に過ぎない。
それでも色んなエピソードを通して彼女の美学に触れたことで、コンプレックスの塊でしかなかったこの胸との上手な向き合い方が少しずつ分かるようになってきた。
相手の意識が胸へ持っていかれ過ぎそうになれば、トーク術と知性で何とかこなせればいい。
その発想が私をとても勇気付け、より前向きな考え方へと導くきっかけとなった。

正直、まだ彼女ほどの強さが自分に宿ってはいないし、完全に自分の胸へのコンプレックスが消えたわけではない。それでも今なら、好きな水着を着て海やプールで友達と楽しい思い出を作れる自信がある。

おっぱいに支配されるディストピアから抜け出せる日もそう遠くはなさそうだ。