24歳の頃、8年付き合った彼氏にフラれた。
なんとなく、漠然と「この人と生涯一緒にいるだろう」と思っていたのは、どうやら私だけだった。
結婚式で髪を結い上げる妄想をしてた「哀れな自分」を切り捨てる
失恋といえば、断髪式だ!
「せっかく伸ばしたのに勿体ないね」と、美容師さんは言ってくれたけど、わざわざ髪を伸ばしたからこそ切ることにしたのだ。近い将来、ウェディングドレスを着て、髪を結い上げる妄想をしてた哀れな自分を切り捨てるために。
背中まであった髪が、流行りのボブヘアになった頃、床に散らばった惨めったらしい髪の束を見つめた。
彼と別れる前、ボブヘアのよく似合う女の子と浮気しているのは知っていた。長く付き合ってると、知りたくないことも分かってしまう。彼のタイプは、ショートヘアの女の子。好きな曲もBase Ball Bearの『short hair』。
鏡に映る自分に「あの子みたいに短い髪が似合えば、少しは私をフッたことを惜しいと感じるとでも思った?」と問いかけた。
彼への未練と執着を手放そうと髪を切ったのに、私の本心は真逆にいることを悟った。
髪型は失敗と成功を繰り返して、不格好で「愛おしい自分史」
それから数年の月日を経て、私は27歳となった。
最近は、頭上に突如現れた円形脱毛、言わばミステリーサークルを如何に隠すか必死になっている。私の頭皮よ、甦れ。
ただ、ここにきて悪いことばかりでもない。髪の分け目に、とても関心を持つようになったからだ。ハゲ隠しの苦肉の策として試した七三分けが、案外似合うと知った日は嬉しくて小躍りした。
髪型は私を象るものの1つだけど、いつも何かに悩んだり、試行錯誤して、失敗と成功を繰り返して、不格好で愛おしい自分史そのものだ。
髪を切ることは禊であり、新たな「自分」と出会うチャンス
ヘアスタイルを変えるたび、心の奥に隠れてた感情の破片が、鏡を通して浮き彫りになってくる。時にそれは痛いこともあるけど、新たな自分を発見するチャンスでもある。
私にとって髪を切ることは、禊でもあるのだろう。髪は、いつでも気持ちにそっと寄り添っている。