長年培った感覚を頼りにトイレに駆け込む。少しでも早く繊細な肌を布から離したいといつもより焦りながらスカートを下ろす。
生地の表面には赤い染みがついていた。
生理がきたのだ。私はそっと胸を撫で下ろした。
その汚れた下着。赤が滲んだ下着。

私はいつでも鮮血を見ると安心する。
そう。生理になることだ。

初経を迎えたのは10歳6ヶ月の時。周りの子たちより少し早く生理になった。先生は保健の授業で、「生理になることは"おめでたいこと"だから家族でお祝いをするんだよ」と言った。
私はお母さんにお寿司とケーキを買ってもらった。
授業で習った"生理を迎えること"はいいことばっかりだし、お母さんがいつも買っているナプキンを自分も身につけられる。生理になったことが少し誇らしかった。

でも23歳になった今まで、"生理"という子宮を持つ人間にだけ訪れるイベントに苦悩し続ける日々だった。

ピルを飲み始めて、安心を手に入れた

中学1年生になったある夏の日。クラスの男子に理科の実験中の暗闇で太ももを撫でられ続けた。はじめて"性"というもの、人間に内在する欲やそれに興奮する男という生き物に嫌悪を覚えた。
身体が熱くなりトイレへ行くと生理になっていた。予定日より2週間も早かった。

知識のない私は"妊娠"したのかと思い保健室の先生に泣きついたが、あやふやな答えしかなくて、休み時間クラスメイトに問い続けた。そのクラスメイトとふたりで放課後パソコン室に行き妊娠の仕組みを調べた。その時、生理がくることは妊娠していない証拠なのだと初めて知った。
それから私は生理がくることで安心を覚えるようになった。セックスをした訳じゃないのに下着につく鮮血を見るたび安心した。

高校2年生。クラスの人間関係が上手くいかなくなり、精神的に追い詰められた。
それでも修行僧になった気分で、学校へ通った。精神が強くなる代わりに生理が1か月続くようになった。
過多月経だ。私はピルを飲み始めた。
ピルを忘れずに飲めば必ず同じ時期にやってくるため、同時に安心を手に入れた。

ピルを飲むことで悩むなら。私は5年間飲んでいたピルをやめた

20歳になり処女を卒業するときもピルを飲み続けていたが、念には念を。コンドームもつけてことに及んでいた。
でもある時、相手の男性にピルを飲んでいるところを見られてしまった。その男性はコンドームをつけなくなった。私がピルでの避妊しているから妊娠のリスクがないという理由で。コンドームをつけることで回避されるリスクは考えて貰えなかった。
避妊をしている事実はあるのに、なぜか私ばかりが身をすり減らしている気がしていた。
なぜならピルはその人のために飲んでいるわけじゃないから。

そしてピルを飲んで生理をコントロールすることは根本的な生理不順の解決にはなっていなかった。ストレスによる不正出血はピルを飲んでいても起きていたし、PMSに大きな効果は無かった。本当に避妊されているのかという不安も加わり、生理日が近づくと日に日に胸の中に重石を積んでいくように精神的な負担が大きくなった。

ピルを飲んでいることで。こんなに悩むなら。ピルを飲むのはやめよう。22歳の私は5年間飲んでいたピルを止めた。

鮮血を見ると安心する。その気持ちの裏にあるのは妊娠を恐れる気持ちだった

ピルを止めた現在は、仕事をし過ぎてストレスがかかると2.3か月生理がこない。何度も婦人科へ行き検査をしても病気があるわけではないから、ストレスだとしか言われない。
まだ生理が続いている方が良かった。生理がこない原因が不明なまま、妊娠なのかただの不順なのかと何度も検査薬を試したり不安で眠れなくなったり。不順で排卵日が分からない中セックスをすることは、避妊をしても私の中にある重石は消えない。それでも私は愛する人とセックスがしたい。

なぜだ。この身体を子宮を持って生まれた私はなぜこんなに鮮血に安心を覚えるのだ。

生理不順が治っても、この気持ちが消えることはきっとない。
鮮血を見ると安心する。その気持ちの裏にあるのは妊娠を恐れる気持ちだった。
妊娠そのものの仕組みを理解する前も、大人になって妊娠の知識がついてからも。

今までの人生で、私は世間の常識にまだ妊娠する資格のない人間である、と教えられていた。若いから、結婚していないから、夢があるから、お金がないから。
人間をひとり育てる資格を持っていないという考えに囚われた今の私にとって子供を授かること自体が喜べない出来事なのだ。

いつになったら。私は妊娠を喜べるようになるんだろう。そんな不安に襲われる。

そして私が妊娠を喜べるようになった時、果たして妊娠出来る身体であるのだろうか。
愛する人と結ばれて、仕事が上手くいって、経済的に子供を育てられる余裕が出来た時。
全てが揃った時にしか妊娠を喜べないのだとしたら。私は一生妊娠をする資格がない人間である気がしてくる。

妊娠する奇跡を喜び受け入れられる世界になりますように

これは私だけではなく、日本に生きる子宮を抱えた人間の多くが苦しむことなのではないだろうか。

子供を授かること。これを喜べない原因は、日本に根付いた"できちゃった婚"という言葉の文化や子供を育てられない経済環境、中絶しなければならない状況、自己実現至上主義など様々な世間の常識や社会的条件に囚われてしまうからだと思う。
妊娠する奇跡をただ喜び受け入れられる世界。
数十年後。私の子供が私の年齢になったとき、もし子宮をもつ人間であったとしたら。鮮血に安心を求めないでいられるように。私はその子を育てたい。