背が低くていいことなんか1ミリもない。
「背が低くてよかった」と思うことが今まで生きてきて一回もなかったし、多分これからもない。
赤ちゃんだって大きくなることが良しとされるのに、
足がつりそうなくらい背伸びしてもうまく直せなくて落ちてきた物干し竿を左頬で受け止めている20代の成人女性の存在を誰が喜んでくれるというんだ。
叶うことなら今からだってすくすく育ちたい。
お金で買えるのなら迷いなく身長を買う。
だけど身長はプライスレスなので、今日も私は149㎝の現実を生きている。
149cmの現実はこんな感じ
ライブ会場に行ってアリーナを引き当てれば、人の隙間からチラチラ見える推しを双眼鏡を構えてエアシャドーボクシングしながら追いかける2時間弱が待っているし、
ちんちくりんにならないよう最低でも10センチのヒールを履こうとすれば、いつまでも慣れることが出来なくて生まれたての小鹿よろしく駅の階段を一段一段慎重に降りている。側からみたら相当に不恰好だろう。
挙げ句の果てには「低身長女子を好きな男には低所得が多い」なんていうどこからどうみても失礼でしかないツイートを見かけてイイネのハートマークをヒールで叩き割りたくなる。
「かわいいアピール」が解せない
けれど、こんな風に「背が小さくていいことなんてない」と言うと、「え~可愛いじゃん!」とか「可愛いアピールでしょ?」という言葉に掻き消される。私はもうそれ以上何も言えなくなってしまう。私の「つらい」はどこの誰に向けられるかもわからない可愛いで塗りつぶされてハイ終わりなのだ。
そもそも「背が低い=かわいい」という言説自体どこから来たんだ。
背が小さくて生じたつらいことをありのまま話しているだけなのに、
「背が小さくてかわいいアピール」をしていると言われるのは解せない。
確かにそういったプロフィール欄に「○○せんち*°」と書いているタイプの女子も一定数いるのだろう。
女性としてのアドバンテージである訳ではない。
そのアドバンテージですら、世間が作り出した男性目線の「背が高い女は可愛くない、背が低い女は可愛い」フィルターが知らずにかかっているだけだと私は思う。
もちろんそのアドバンテージを自らの利とすることに否定的な訳ではないけれど、
当事者からしたら、単純に身長がありすぎてつらい、なさすぎてつらいという「不便さ」の話なのに、男性目線のフィルターをかけるから「可愛いか可愛くないか」という話になってしまうのである。
男女問わず「背が高い=男らしい(守る側)」
「背が低い=女の子らしい(守られる側)」」という概念が消えない可能性は高い。
ひいては内面ではなくセンチ単位でパートナーを選ぶ人が出てくる可能性もある。
もっともその相手は単純に器が小さいだけである可能性もあるけれど。
背が高い女の子にもつらいことがある
わかっている。
背が高い女の子にもつらいことがあるのは。
ヒールが履けない、好きな人より背が高くて気まずい、服のサイズが難しい…
背が高い女子、背が低い女子、それぞれ実際に体感しなければわからないつらさがある。
というか背の高低でジャッジされること自体がもうつらい。
だから、せめて背が低いことで生じる私の「つらい」を「可愛い」で掻き消さないでいてほしい。
例えば周りの身長は関係ない場で
「届かないよ〜」というアピールをしたい相手すら微塵もいないのに、、
自分の後方に通行客が溜まっているのに飛行機の手荷物棚を絶望的な気持ちで見上げるしかない時とか。
声を張り上げてCAさんを待つしかないこのひととき。
別に何を言われたでも何でもないけれど、
顔の美しさを才能と結びつけることへの安直なならい
わかったよ、私ももう「でもスタイルいいから羨ましいよ~!」って言わないから。
「つらかったね、でも成長ってもうどうにもできないし良いところもあるからそこを愛でてくしかないよね」って一緒にトリキでお酒を酌み交わしてほしい。
高身長も低身長も不便さもあるし、良いところもあるはずなんだ。
正反対であっても「つらさ」を抱えていることは一緒なのだから、
そのつらさをないことにはせずに「つらいよね」と分かち合いたい。
その上で身長に左右されない互いの良さを認め合えたら、
身長関係なく私達は肩を組んで歩いていけるはずだから。