なにかを愛し始めるには。そのなにかを受け入れるための、心の余白が必要なのではないか。

22歳にして、いつか人間になることを願う。子どものころ描いた大人の最終形態は、世界平和を実現するための全知全能なスーパーマンだったのに。平和とはなにか、しあわせとはなにかさえわからずに、ふらふらと生きている。考え続けていることだけは少し誇れる気がしている、幼いころ描いていた姿とはかけ離れた大人初心者マーク付きのわたしの仮説。論点は、「何かを愛し始めるときは余白が必要かどうか」ではなくて、「愛することとはどのようなことか、できるようになりたい、できるようになりたいけれど、それはわたしにできることなのかどうか」という、大人初心者マークに相応しいような、呻き。

誰かと愛し合うことなどできるのだろうか

「人は人とのつながりのなかで生きるから人間なんだ。」
人は命の途方もないつながりのなかで生きていることに気が付き始めたわたしの日々は、以前よりも豊かな温度と色彩が宿る。それでも、気が付けばきがつくほどに、だれとも愛し合えないかもしれない自分が怖くなる。「人間」になることにも精一杯で、ギブアンドテイクでものごとを考えてしまいがちなわたしに、誰かと愛し合うことなどできるのだろうか。

親友、恋人、そんな、愛で結ばれているのかもしれない甘美な香りの関係を心から結べたことが一度もないわたし。言葉の上では「約束」しても、こころはいつも置いてけぼりの、本当に最低なのかもしれない自分。そんな自分を責める心の声が止まらなくなる真夜中。

すこしづつ終わっていく命と、積み重なる命。果てしない、日々の中。守りたかったわたしたちばかり見えなくなって、涙みたいな誤魔化しばかりが積み重なる。目の前の風景さえも、大切なあなたの笑顔でさえも、涙を透かして滲んでしまう。あなたの瞳に映るわたしは、怖くてみることができない。

「誰かと愛し合えないかもしれない」それは、わたしのなかで複雑に絡まって。もう解きほぐすことができないような気がして、だれかに不快感を与えてしまうような気がして、こころの鍵付きの引き出しに隠して、いつの間にか、鍵までなくしてしまって、わたしのなかにはなかったもののようにされたいた、叫び。

海と空の表情で彩られる街は、わたしのからだと心を柔らかくする

心の瞳に薄くかかるレンズ。わたしと世界の境目の鏡。限界だったんだ。逃げ出した先は、海と大学しかない町。一日たりとて同じことのない、海と空の表情、彩られる街。この街の生活の中、優しい方々との恵まれすぎている出会いの中、柔らかくなるからだと心。確かなことは、余白があって、地平線が丸くて揺れていること。わたしの境界線が、自然に溶け込んでいくこと。

こころの鍵が見つかったのか、それとも鍵穴が溶けたのか。ふつふつと湧き出る不安。愛したい人がいるのに愛せているのかわからない情けなさ。それでも、大切な人たちの笑顔が思い浮かぶ海と空のそばにいられるのなら、なにかを信じて歩いて行けるかもしれない、そんな、願い。

しあわせは長くは続かない。のろいのように思う、もう一人の自分。今この瞬間も、しあわせが暴力にさらされている、この世界。そんな世界に生きるわたしは、できることを探し続けなければ、学び続けなければ、これは、決意であり、きっと言葉にできない叫びだ。「気が狂いそう」そう歌っていたブルーハーツのように叫ぶ声量はないけれど、だからなのか、心から泪がさめざめと流れ続ける。

余白をつくれる人になりたい

わたしの心に余白をつくってくれた、生き延びる余白をつくってくれた、たくさんの命。大丈夫、なんて言えないけれど、余白をつくれる人になりたい。汗水を流しながら、余白を探しに行ける人になりたい。そして、誰かと一緒につかまえきれない時を、綴れることができたなら、きっと余白に描かれている多彩な色彩と出会える気がする。

それなのに、あまりにも悲しい出来事、守れないなにかが多すぎる。目に映すことができる日常の中にも、映すことができないどこかでも。
そんな日常の中、家に隠れこむと、すがるようにキーボードを打つ。

「かがみよかがみ」

たくさんの命の、やさしさと強さが映し出されて、反射しあって。「願い」が染みわたるように、相容れず浮かび上がるように。その言葉に触れさせてもらうたびに、「願う」余白を生み出せる。泣き続けて、膝を抱え続けた日々があるから、踏み出すことができた一歩を紡いでいく。そんな、一助になれたらいいな、という願いが、一凛の花だとしたら。

この文章は、拙い花束。その花束の名を、いつか知ることができるだろうか。