レストランなどで隣のお客さん同士が会話しているのを聞くのが好きだ。心地よい音楽をかけながら読書をするのが好きだ。他愛もない冗談を言うのが好きだ。心震わせる映画を見て、心の底から涙を流すのが好きだ。カフェに行って好きな人たちとおしゃべりするのが好きだ。毛布にくるまって今日1日のことを思い出し、少しドキドキしたりするのが好きだ。
小さな「好き」「嫌い」ってたくさんある。ついつい覗いてみたくなる
胸を張って好きだ、と言えることではなくても、小さな「好き」ってたくさんあると思う。私は自分の小さな「好き」を集めることが好きで、私の周りの人たちも小さな「好き」をたくさん持っている人が多いような気がする。その人たちの小さな「好き」をこっそり聞いて、そんな「好き」もあるのかあ、と新しい世界を窓から覗き見したような気持ちになるのも私の小さな「好き」かもしれない。
反対に、小さな「嫌い」もあるだろう。私の場合は電車のつり革がベタベタしているとき、テレビがいつまでたっても起動中になっているとき、風が強くてせっかく綺麗に揃えた前髪がぐちゃっとなるとき、残っていると思ったはずの牛乳がほぼないとき、などである。このあいだ友人が言っていた、残量のわからないシャンプー容器とか結末のわからない映画、とかも小さな「嫌い」なのかもしれない。友人のこれらの小さな「嫌い」を聞いたとき、その友人のことを非常に愛しく思った。その人の小さな「嫌い」を知ることは、その人の本音をちょっぴり盗み聞きしたような気持ちになって、他の人の知らないその人の弱さ、みたいなものを知ったことによる嬉しさがあるのかもしれない。
好きな人ができたら、ポジティブで心地よい優越感に浸りたい
私は好きな人ができたら、こういう小さな「好き」とか小さな「嫌い」をお互いに共有したい。そうしてお互いがお互いのことを知って、他の人の知らないこんなところも知ってるんだぞ、という心地よい優越感に浸りたい。それは誰かを見下すような優越感ではなく、自慢したいと思うということではなく、自分も相手のことを、そして相手も自分のことをよく知ってくれている、安心できる、そんな空間が自分にはあって嬉しいな、というポジティブな、誰にも矢印が向けられていない優越感である。
付き合うって、人生をよく見せるためのアクセサリーでもないし、人生に絶対必要な道具でもない。でももし自分の小さな好き嫌いを知ろうとしてくれている人がいたら、そんなに嬉しいことはないな、と思う。そして、私も誰かの小さな好き嫌いを知ろうと思えたときには、きっとそれは運命なんだって思ってもいいかもしれないな、と思う。
お互いの趣味を頑張って理解しようとする、お互いの理想に近づくために努力する、そういう関係も素敵だ。だけど私は、互いをつなぎとめる趣味とか理想の姿とか、そういうものがなくなったら、変わってしまったら壊れてしまうような、そういう関係ではなくて、ひとりの人間としてお互いに尊重できる、知ろうと思える、そんな関係を構築したいな、と思う。
物質的なものではない、心から求めているもののために一緒にいたい
私は誰かと付き合うとき、その人が自分を選んでくれた理由が表面的なものだと少し悲しい気持ちになる。もし顔がかわいいとか、話が面白いとか、足のサイズが平均的な女性より大きいとか(?)、そういうことで選ばれているのだとしたら、代替品がたくさんあるよな、私でなくてもいいんじゃないかな、と思案してしまうのだ。
私はよく、周りの友達に「その人のどこが好きなの?」と質問する。それは決して相手の気持ちを疑っているとかそういうことではなく、純粋に理由が気になるからである。そのときに、顔がタイプだとか稼ぎがいいだとかそういうことを挙げるのではなく(もちろんそういう理由も否定はしないが)、相手の本質的な部分をしっかりと見極めて、そこにどんな良さを感じているのか説明してくれると、その友達のことを心底好きだと感じる。もちろんきっかけとして見た目や趣味の話が出ることもあるが、それだけではない何かを教えてくれると、その友達は真剣に人間と向き合おうとする人なんだと実感し、ますます好きになってしまうのだ。
逆に周りの女友達が男の人と付き合う上での条件として、稼いでいて、長男じゃなくて、背が高くて、顔がタイプで、一人暮らしで…などといったものをつらつらと挙げている場面に遭遇すると、目の前が真っ暗になるような気持ちになる。
人生を誰かと一緒に歩んでいく上で、もちろんお金がないと、仕事がないと、やっていけないのは百も承知だ。だけど私は、物質的なものより先にある、ぼんやりとしていて、だけど絶対に大切で心から求めているような、そういうもののために一緒にいたいと願う。
結婚式で「その健やかなるときも、病めるときも、 喜びのときも、悲しみのときも、 富めるときも、貧しいときも」というおきまりのセリフがある。自分がこれを聞くとき、いったいどんな気持ちでいるのだろう。願わくば、一抹の不穏さも感じず、胸を張って一生を共にしたいと思える相手を前に、「誓います」と言えますように。