私には忘れたい人がいる。その人は、私の幼なじみであり、初体験の相手である。

事の発端は、4年前の大学1年生のとき。私はその幼なじみと「初体験」をした。はじめて同士。ぎこちなかった。次の日の朝、猛烈に記憶を消したくなった私は、幼なじみの連絡先を消去した。それから4年間、私と幼なじみが会うことはなかった。

突然来た幼なじみからの連絡。4年振りに会うことに。

4年後の大学卒業間近、友達登録をしていない相手から連絡が来た。誰だろう?画面を開くと幼なじみの名前が。友達登録をしないという選択肢も考えた。けれど、いくら連絡先を消しても記憶は消去できない。それは痛いほど分かっていた。私は幼なじみと連絡をとり、会うことにした。

「初体験が忘れられない」
幼なじみの言葉はあまりに直球だった。そして、同じ気持ちだったことがシンプルに嬉しかった。

4年振りに会った幼なじみは、相変わらず魅力的だと思った。私は、幼なじみの素直で純粋で単純なところが好きだったし、同時に素直で純粋で単純なところが苦手だった。一緒にいると眩しくて、なんだか苦しくなる。

初体験のやり直しをした。言いたいことも言えた。でも…

「前より上手くできたね」
そう言ってお互い笑った。昔よりくだけた話もできた。今まではあまり話さなかった、自分の気持ちや暴露話みたいなものも話せた。

これで忘れられる。私はそう思い、すっきりとした気分で家に帰った。心の奥に引っかかっていた初体験のやり直しもできたし、言いたいことも言えた。ようやく、あの記憶とおさらばできる。あの、思い出さないようにしていても、ふとした時に勝手に出てきては頭をモヤモヤさせていたあの記憶とーーー。

数日後、全然モヤモヤしていることに気づく。なんなら前よりも幼なじみのことを考えてしまっている。幼なじみとした行為のことも、ばっちり記憶に残ってしまっている。

どうしたら忘れられるのだろうか?もう考え得る手段は使ってしまった。唯一、伝えていないことがあるとすれば、「好き」という言葉。しかし、私は幼なじみと付き合いたいという感情は微塵もない。一緒にいて安心するタイプの"好き"ではないからだ。一緒にいると楽しいけど苦しい、そういった種類の"好き"である。この場合、好きだと伝える意味はあるのだろうか。

次会うことがあったら、伝えたい。今度こそ忘れるために。

「付き合いたくはないけど、好き」
ただ、好きという気持ちは確かに存在しているのだ。それに、もう他に思いつく手段がない。

次会うときは、好きと伝えてみよう。この先いつ会うのか分からないし、もう二度と会わないかもしれない。けれど、もしも会う機会があったら、好きと伝えて、今度こそすっきり忘れてやる。