私の人生における選択肢は、いつも「母親だったら何を選ぶか」という基準を元に選ばれてきた。私自身が私の人生に責任を持っていなかったし、そうすることを許されていないと思い込んでいた。
母親は、私が意に沿わぬことをすると不機嫌になり、罪悪感を支配し、行動をコントロールする人だった。そして私は、そんな母親に依存し、褒められたいと期待する、甘ったれだった。母親からの否定は、いつも私をどん底の気分にさせた。
愛しているけれど、近くにいれば傷つく。いつだってそのジレンマが付いて回った。

それは初めて私が、私自身のために下した決断だった。

こうして大人になった私は、自分の感情にどこか疎かった。
自分の「こうしたい」という気持ちは心の中でぱっと光るのに、母親の否定的な意見がそれに蓋をした。いつだって母親の望みは私の望みになった。決めたのは私で、責任は私にある。けれど、何かが違う。それらは自分でも説明のつかないフラストレーションとなり、心は疲弊し、いつしか、何もかもが嫌になっていた。もう生きることに疲れた、そんなふうに思うようになった頃にふと、1度くらい、やってみたかったことをやってやろうという気持ちが湧いた。私は親に黙って不動産屋を巡り、賃貸マンションを契約した。事後報告を受けた母親はとても否定的な反応を示したけれど、それは初めて私が、私自身のために下した決断だった。

貪欲にチャレンジし、思い切り怠けた。満足感が私を満たした。

実家を出て、ずっとやってみたかった1人暮らしを始め、私は私という人間を、味わいつくしながら生き始めた。あれは本当に、不思議な感覚だった。実家にいるときの私は、どこかで母親の機嫌を伺っていた。けれど産まれて初めて食べたいものを食べたいときに食べ、着てみたい服を着て、帰りたい時間に帰り、眠りたいときに眠った。全てが自己責任で、そして自由だった。
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、そういったものが徐々にクリアになり、貪欲にチャレンジし、思い切り怠けた。満足感が私を満たした。

誰かが決めた、無責任な生き方を望んでいた。

今振り返れば、私はまるで、授業のとっくに終わった夕方の教室で、学校を出る勇気もなく、ぐだぐだと席に座って外を眺めていた子供のようだった。そこにはもう何も無いのに、ただの残像と共に、誰かが決めた、無責任な生き方を望んでいたんだ。
一歩踏み出せば、一人で歩く外の空気が美味しいことも、仰ぎ見る空が美しいことも、進めば道が続いてゆくことも、当然のように分かるのに。
自由であることは、ある意味孤独だ。けれど、だからこそ見守ってくれる愛の有り難さに気づけた。母親は、母である前に一人の人間で、弱いところも、できないこともたくさんあって、それでも子供のために精一杯の愛と知恵を与えようとしてくれていたんだ。
あの時、どうしてあんなに、頭でっかちだったのだろう。いつだってやりたいことを前にして、諦めるための理由を探していた。もっと早く、こうしていれば良かったのかもしれない。けれど人生には後悔が付きものだ。それすらも笑い飛ばして、これからは、やりたいことをやりたいうちにやる、そんなふうに、私の人生を歩んで行こうと思っている。そうすれば、きっともっと新しい景色を知れる。自分の凝り固まった小さな概念をいつだって壊して、前に進み続けたい。