「お前はこの子を外国人に育てるつもりか」
母は私をKarenと名付けようとしたときにこんなことを祖父に言われたらしい。
そんな祖父の反対?を無視してKarenという名前にしてくれた両親に私は感謝している。
苗字には思い入れが全くないが、Karenという名前は英語でもスペイン語でも日本語でも通じるし発音のしやすいとても便利な名前だ。アメリカの大学に進学して日本から離れてしまったので案外祖父が言ったことは当たってしまった気もする。

珍しい名前ならではの経験を重ねて

それでも、小さい頃はよくカレンダーやカレーライスというあだ名を男の子につけられていたのでKarenという名前に愛着はなかった。今思うと見た目でつけられたあだ名でもないし、そんなこと言ってくるやつは無視すればいいのに、当時の私はKarenがあだ名をつけられやすい名前であることを少し恨んだこともあった。言うまでもなく、小学校高学年頃にはさすがにカレーライスなんてあだ名をおもしろがってつけてくる子もいなくなった。

名前に関してよく意外だと言われるのが私の名前に漢字があることと、珍しい漢字の組み合わせだということ。私の名前Karenは漢字で「佳恋」と書く。「ママとパパみたいに良い(佳い)恋をしますように」という想いをこめて両親がつけてくれた。かれんという同じ名前の人にはこれまで何人か出逢ってきたが、全く同じ漢字の人に出逢ったことはまだない(いたらぜひお会いしたいのでTwitterのDMでご連絡ください)。
はじめて会う人にはよくこの漢字の組み合わせを見ると「可愛らしい名前ですね」と言われる。そういう時はもちろん遠慮することなくお礼を言う、「よく言われます!」の一言を添えて。別に私が選んだ訳でも、つけた訳でもないので、褒められるべきは両親だと思うが。

名前負け?「名前に似合う女性にならないと」と思った

高校の国語の先生も、はじめて出席簿を見ながらクラス全員の点呼を取った時そういった。が、その後に続いたコメントが「でもこんな漢字の名前だと名前負けしちゃって困るわよね~」だった。今考えるととても失礼だ。私よりも、苗字との相性や漢字の画数・意味などをめちゃくちゃ考慮した私の両親に。でもあの時の私は怒ってよかったのに、なんとなく笑ってすごした。そしてその後よく考えて、「私の名前をとやかく言う権利は先生にはないが今後誰にもそんなこと言われないように、名前に似合う女性にならないと」と思ったのだった。

あれから7年近くたつが、名前負けしない「良い恋」をしてきた・している訳ではない。でもこの7年間でいろんな恋の形があることも知ったし、結婚だけが幸せになるための方法ではないことを知った。

それにそもそも、「ママとパパみたいに良い恋をしますように」というのは別に私に良い恋をしてほしいと願っただけで、別に結婚して家庭を持てと言っている訳でもない。
良い恋=結婚なんて意味ではきっとない。だって他人からみたら不幸な恋でも私にとっては良い恋だってこともきっとある。ただ私が人に恵まれて、幸せであってほしいと思ってこの漢字の名前を選んでくれただけだ。過大解釈かもしれないが、きっと両親もそう思っていると信じたい。

幸せの定義も、今幸せかを決めるのも私。次会うときは伝えたい。

幸せの形が多様化している今、幸せの定義も、今幸せかを決めるのも私だ。もちろん、いつか両親のように素敵な人に出逢って結婚して、仲良し家族を持てたらとも思うが、別にそれが実現しなくても私は名前負けした訳ではないと思う。
だから多分もう会うことはないと思うけど、もし、もし同窓会か何かであの国語の先生にもう一度会うことがあるならばきちんと言ってやりたい。
私がこの名前に愛着を持っている限り、私が名前負けしているということはありえません。