緊急事態宣言が解除され、広い世界に急に解き放たれたら、私はまず何をするのだろうか。
意外とこの生活に馴染みすぎて、もしかしたらもう元の生活には戻れないのではないか、そんな気さえしてくる今日この頃。もともと家でじっとしていることが苦手なタイプで、休日は誰かしらと会っていることが多い。予定がない日でも必ず外出し、カフェなどで読書を嗜みひたすら時間が過ぎるのを待ったり、次の特集の企画書案を書き貯めたりとなんとなく仕事を進めておくのがいつものお決まりだ。そんな私が毎日家にいるなんて無理…と最初は思っていた。ところが実際にやってみたら結構いけた。住めば都とはこのことか。
じゃあもうこのままでいいの?と、頭の中で自問自答していたら、あった。このままじゃ嫌なこと。

弟に会えなくなることだ。

弟の“絶対的な味方”になろう

私には自他共に認める溺愛っぷりが有名な弟がいる。それはもう、とてもとても可愛くて大好きな弟だ。周りの人たちには必ず「なんでそんなに仲いいの?」とか「彼氏みたい」とか、挙句の果てには恋人にまで関係を怪しまれるほど…なのだが、その手の質問には慣れっ子で、まんざらでもなく「そうでもないよー。でも確かに友だちみたいな関係かも」と答えるのがお決まりだ。しかし、そのたびに必ず心の中で「私たちは姉弟なんかじゃない。戦友だから」と答えている。

幼い頃から家族で“味方”は弟だけだった。長女という立場の私は成長するにつれて他の家族から弟を守らなければ、という強い正義感に変わっていった。しかし、私の方が先に 圧 に耐えられなくなり、家を出てしまった。それからその 圧 は、集中的に弟だけに注がれるようになり、彼はついに燃えて尽きてしまったのだ。誰にも相談できずに。

その報告を受けたときは、本当に絶望的だった。
こうなることは分かっていたはずなのに、残された弟のことを一切考えもせずに私だけが逃げてしまったのだ。
後悔してもしきれない。あの時の弟の思いを想像するだけで涙が出てしまう。寂しかっただろう、辛かっただろう、誰にも助けて、と言えないその状況を想像するだけで。

それから私はより一層、弟の“絶対的な味方”になろうと心に強く誓った。

弟のことは、誰よりも一番、信用している

同時にもう一つ決めたことがある。それは強要はしないことだ。あくまで頼ってもいいし頼らなくてもいいよ、というスタンス。心配の強要は、相手を束縛し、苦しめることを知っているからだ。同じことは繰り返したくないのだ。自分の心配は自分でコントロールするべきだと私たちは知っている。

おそらく友だちは、私たちが常に連絡を取り合っていると思っているだろうが、それはまったくの見当違いで、ずっと一緒にもいないし、SNSでもあえてつながらない。連絡も頻繁に取るわけでもない。

誰よりも一番、信用している。ただそれだけなのだ。

それは今も、この先も変わらない。弟には寂しい思いや不安な思いをさせたくない。
弟の前では決して弱音を吐かず完璧な存在になり、弟が相談したいと思ったときに、躊躇することなく頼りたいと思わせる存在になろうと決めたのだ。

いざ大人になったときに私の方が助けられた

1年前くらい前に、これまで2人の中で封印してきた、幼い頃の日々に感じていたことを話し合った日があった。弟の思いを聞けて安堵していたときに、ふいに、

「でも、お姉ちゃんの方が耐えたと思うよ」と言われ、後でこっそり泣いてしまったのだ。

この世で私の本当の姿を見てきたのは弟しかいない。さらに何も言わずに見守っていてくれて、いざ大人になったときに私の方が助けられたのだ。

そんな弟と次に会ったときは焼肉でもご馳走しよう。