2020年4月中旬、私は故郷と家族を捨てて上京した。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出されている最中、後ろめたさはあったものの「今ここから出て行かなきゃ、次いつ抜け出せるかわからない」。そんな思いで頭がいっぱいで、逃げるように飛行機に乗った。

そうやって私たちは母子家庭となった

私の家族。弟と妹以外誰も信じられない家庭。
母親と私たち兄弟3人は一度、離婚を経験している。私が4歳、弟が3歳の誕生日を迎えた日、元父親は離婚届を母親へ渡した。ギャンブルで借金を背負い、浮気に浮気を重ねていた元父親に対して、母親は「はやく出て行ってくれ」と判子を押した。
そうやって私たちは母子家庭となった。

それからの母親の荒れ様は酷いものだった。
私が6歳、弟が5歳、妹が2歳だった頃の記憶は今でも鮮明に思い出せる。食事は一日二食。毎週末、子どもを置いて夜の街へ繰り出す母親。約束の時間に帰ってこない母親と、母親を求めて泣きじゃくる妹をあやしながら、近くに住む祖母へと電話をかけていたあの日。そうして帰宅を促された母親がようやく帰ってきたときには、時計の針がてっぺんから右にずれていた。

食に困るほど貧乏ではないはずだった。しかし生活費は母親のダイエット用品や飲み代へと消えていった。偏った食生活を送っていたせいか、私たち兄弟はやや肥満傾向にあった。ちなみに母のダイエットは続いたことがない。
服、体操着、上靴は成長とともに買い替えるものであることは知っていた。でも、なかなか買ってもらえなかった。わざと失くして、ようやく買ってもらっていた。

「反抗」なんて許されるものではなかった

その後も続く母親のヒステリー。元父親と離婚してからは、母親がヒステリーであるという記憶しかない。食事で好き嫌いをすると食事は捨てられる、勉強を渋ると好きな本が取り上げられる、門限を1分でも過ぎると鍵をかけられ、外に締め出され土下座をしないと家に入れてもらえなかった。何かにつけて侮辱的な言葉をぶつけられた。

中学、高校となると普通なら反抗期がきて喧嘩に喧嘩を重ねているはず。しかし私たちに「反抗」なんて許されるものではなかった。なぜなら生命に関わるから。一度母親を怒らせると物を投げられ、食事が捨てられてしまう。従うしかないのだ。
そう育てられたら、自己肯定感なるものは芽生えるわけがなかった。

大学生になり母親が再婚した。ようやく自由を手に入れられたかと思いきや、アルバイトを始めたせいで生活費を要求されるようになった。学費のために働いているつもりなのに、毎月数万円家計に入れることになっていた。弟は高校を出てすぐ就職した。今春妹も高卒で就職。みな実家に多少なりともお金を入れていた。
だがなぜか「生活費が足りない」とことあるごとにお金を借りに来る。実家に住む妹から聞いたのは「お母さん、またダイエット用品ばかり買い集めてるよ」…頭を抱えてしまった。

人生を変えるきっかけをくれた彼女に感謝を込めて

「こんな環境から早く逃げ出したい」と自分を傷つけたり引きこもったりを繰り返しているうち、関東に住む友人から「もうこっちにおいでよ、自分が手伝う、早く逃げておいで」「一緒に楽しく暮らそうよ」と救いの手が差し伸べられた。

引っ越し代も何もかも援助してくれた友人。「お金はいつか、遊ぶときに奢ってくれればいいから」と寛大な心で迎えてくれた。
今は彼女のもとで家事をしながら自分のできる仕事をしつつ、今まで挑戦できなかったことを改めて「夢」としてスタートさせている。人生を変えるきっかけをくれた彼女に感謝を込めて。