小学生だった私と捨て猫だった子猫との出会い。

飼っていた猫が死んだ。
私が小学生の頃拾ってきた猫だ。

当時私は「探検隊」と称して、よく近所の公園に繰り出していた。隊員は一名。背負ったリュックの中は食糧のみ。口渇に備え水筒にはお茶を、飢餓に備え巾着にはお菓子を。
お菓子も、チョコやキャンディなどではなく、咀嚼力の低下を懸念して、おかき。ヘンテコな少女だ。

要は1人遊びが好きだったのだ。
隊長(私)は、ある日公園でカラスの群れを発見する。おそるおそる近づいてみると、寄ってたかって子猫をつついているではないか。

「あっちいけ!」と駆け寄ると、カラスはバサバサッと逃げていった。
子猫は片目に酷い傷が出来ていた。カラスにやられたのだろう。

リュックからお茶を取り出し水筒の蓋に注ぎ子猫の前に差し出すと、ペロペロと飲み始めた。腹も空いているだろう、とおかきをあげてみると、ペロペロと周りの醤油を舐めたあと、ペッ!っと吐き出した。

当時は子猫に与えてはならない食べ物の知識など持ち合わせていなかったので、「おかきは嫌か…堅いもんな…」と思っていた。

食糧を提供したあと、カラスの再来を恐れてしばらく防衛していたが、来なくなったことを確認して、家に帰った。「がんばれよ」と片目の子猫にアイコンタクトを送って。

我が家についてきた子猫を正式に我が家に迎え入れて。

その晩、母親が騒ぎ出した。
「玄関に猫ちゃんがいる!」

どうやら私の後をついてきて、家までたどり着いたらしい。
当初は飼うことを反対していた家族も、子猫の可愛さにやられ、数日後、正式に我が家に迎え入れられた。

猫というものは餌をくれる人間に懐く生き物だ。そのため餌やり係の母親によく懐いていた。
命の恩人である私に対してはあまり愛想がない。「可愛げのないやつめ」と子供心に思った。それでも、大好きだった。

猫との別れを迎えて、涙が止まらなかった。

猫は私と共に歳を取った。
私が実家を出ても、元気に生きていた。
私が就職しても、なんとか生きていた。
しかし、帰省するたびに、猫に会うたびに、そろそろだろう、と思うようになった。

「なんだか軽くなったね、毛並みも揃ってない」
家族は「そうかしら」「変わらないよ」と言う。本心なのか、とぼけていたのか、今では分からない。

ある日、パッタリと死んだ。
私の誕生日の翌日だった。
LINEで訃報を受け、「そうか、死んだか」と思った。数時間後、目から滝のように涙が出てきた。自分でも驚いた。親族の葬式でさえ泣いたことのなかった私が、今、猫に、泣いている。

共に過ごした18年間の記憶。また会えたとしたら。

見渡せば猫のグッズで溢れかえる部屋。
私はいつのまにか猫大好き人間になっていた。

猫は18年近く生きた。長生き過ぎる。化け猫だ。
でも、言い残したことはない。
幼稚園の頃、ハンス・ウィルヘルムの
『ずーっとずっとだいすきだよ』という絵本を読んだ。
愛犬が死に、家族が「もっとだいすきだよと伝えておけばよかった」と悲しみにくれる中、主人公の少年だけは、毎日愛を伝えていたから後悔はない、というような話だ。

私は猫に会う度、小さな声で「がんばれよ」「かわいいな」と囁いていた。

だから後悔はない。
ただ、思い出すのは、猫が爪研ぎでボロボロにした新築の壁、爪切りを嫌がる姿、死ぬまで治らなかった片目の怪我、その血の混じった涙をよく拭いてやったこと、家族で出かける際、窓からジッとこちらを見ていたこと、帰ると玄関先で両手を揃えてチョコンと座っていたこと。避妊手術のあとの首に巻いているエリザベスカラーが面白くて、みなで「女王!」と呼んでいたこと、「かつおぶし」という言葉を発すると喜んで後をついてきたこと。

生まれ変わりとか天国とか地獄とかは、よく分からない。
猫に今度会うのは、私が死ぬ間際に見る走馬灯か何かだろう。
だけど、もし、もし仮に、魔法が使えてまた猫に会えるとするならば、優しく抱きしめて、もう一度伝えたい。

「がんばれよ」「かわいいな」