肌寒いTシャツがくれる、束の間の赦し。お願い、ずっといて

『もう半袖でも そんなに寒くないね』
モテギスミス (モテギスミスバンド/アナトオル・フランス)さんという方の、「soramame to beer」という曲の歌詞である。
大好きな曲で、歌詞の全てが素晴らしいのだが、私は上記の一節がとても好きだ。
この曲では、『ちっぽけ』な『僕ら』が『こんな時間まで手を繋いで』いる。
『もう』という言葉から、この2人は「半袖だとまだ寒い季節」を共に越していることが想像できる。そして、きっと2人はビール片手に半袖で夜の散歩をしている。
『そんなに』という言葉から、まだ少し肌寒いことが想像できる。
しかし、『寒くない』という事実については嬉しいとか楽しいとか感想を言わない。何も追求せず、淡々と、目の前の四季の移ろいを眺める。
勿論勝手な想像なのだが、とにかくこのフレーズが大好きで、毎年冬になるとはやく『もう半袖でも そんなに寒くない』季節が来てくれないかとワクワクする。
この、「夏になりかけ」感がたまらなく好きなのだ。春と夏の間の、ほんの少しの、曖昧な期間。
夏は大嫌いだった。汗でベトベトするし、化粧も落ちるし、日焼けするし、洗濯物も増えるし、人混みも電車もうざったさ倍増。おまけにアイスクリームばかり食べちゃうし、ジュースばかり飲んじゃうし。だから夏なんて来なくてよろしい!と忌み嫌っていた。
そして、そんな夏が目の前に迫り来る「夏の一歩手前」が何よりも恐ろしかった。
この曲に出合うまでは。
こんなことを書いている2020年5月12日、連日猛暑が続いている。
夜中、1人でコンビニに向かう途中、つい『もう半袖でも そんなに寒くないね』と口ずさんでしまう。
家を出る直前、パーカーを羽織ろうか、羽織るまいか、一瞬迷って、羽織らない。少し寒いが後悔はない。だって『そんなに』寒くない。
友人といるときも、つい問いかける。
「なんかもう夏服でも寒くないね」
「そうだね」
返事をもらって悦に浸る。
先日、好きな人と夜にコンビニに行った。勿論半袖で。正直少し寒かった。でも、私は浮かれていた。この季節が来た!と。
『もう半袖でも そんなに寒くないね』と言った。
相手は「まだ少しだけ寒いよ」と言った。
「いや!寒くない!」と言って、無理やりそういうことにして、アイスクリームが入ったレジ袋をぶんぶん振り回しながら、スキップして帰った。
夏になりかけの夜は、何故だか少し許されている気持ちになる。その土地に認められているような気持ちになる。自分自身と道路の境が揺らいで、街並みの一部になるような。「拒否されていないのだ」と思うことが出来る。
私はいつも街に、世界に、溶け込めていない、許されていないと感じながら生きている。
どの季節をとっても、「ここにいてはいけない、いるべきでない」と、思ってしまうのだ。
だけどこの季節だけは特別だ。
『そんなに寒くない』夏のほんの少し前のこの一瞬は特別なのだ。
お願い、いかないで、ずっといて。
ずっと私を許して。
だけどもこの有り難みの正体は曖昧な儚さであることを私は知っている。
知っている以上、駄々はこねまい。
相変わらず真夏は苦手だが、この特別な一瞬がまたやってくると思えば、1年を耐えられる気がする。
来年また会おうね、私も私で頑張るから。
来年はどんなTシャツを着て、どんなアイスクリームにハマっているだろうか。
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