8月。夏真っ盛り、夏季ど真ん中。そんな日に私はこの世に誕生したらしい。アイスケーキで誕生日をお祝されることや、学生時代は夏休みのせいで大人数の友だちから祝われる機会がなくて寂しい思いをすることを、全国の夏生まれさんと共感したい。しかし、その落胆も束の間、社会人になった途端、夏季休暇のおかげで大切な人と過ごせる特権を得られることもセットで分かり合えたらさらに嬉しい。平日のお昼休みや放課後に誕生日パーティーをしてもらえる友だちがうらやましくて落ち込んでいる学生たち、もうそんな必要はない!大人になれば立場は大逆転するのだから、お楽しみに。

夏に生まれた私が夏を好きではない理由

正直に言うと、私は夏が好きではない。
暑いからだとか抽象的ではなく、かなり具体的な理由がある。
まず、水が苦手だ。夏の娯楽の代名詞、プールや海で友達と楽しく泳ごうとしても、どうにもこうにも浮くことができない。小学2年生のある日の朝、突然母に叩き起こされそのまま映画館に連れられて、生まれて初めて観た映画を今でも覚えている。戦争がテーマの映画で、最終的に登場人物が海で溺れ、亡くなってしまうという結末だった。母流の教育によると「生き残るために、泳げるようになりなさい」ということらしく、その後すぐにスイミングスクールに通わされたが、水泳の初歩的な泳ぎ“クロール”すらも泳げるようになることなく辞めてしまった。

他にも、毎年夏休みに宿題として出される、絵日記が苦手だった。自由研究も。例のごとく、母流の教育で一切の外出は禁止されていたので(家族旅行もめったになかった)、日記にはとにかく書くことがなかったし、子供が父と接触するのを嫌がったため、自由研究も一人でやらなければならなかった。今思えば、宿題なので一人でやることが普通だったのかもしれないが…クラスの同級生が「お父さんと作りました!」といって発表する自由研究がうらやましかったのだ。一度だけ母に秘密で、父と一緒に制作しようとしたものの最終的にバレてしまい、ほとんど父一人で作ってくれた作品が、全校生徒の前で良作として紹介されてしまったときはとても胸が痛んだ。

学生時代の夏の思い出。どうもそのイメージが抜けない。

その後、中学、高校と進学していくうちに、周りの友達のおかげで視野が広くなり、家族に対する違和感や窮屈さに限界を感じ始めるようになる。家から出たいという一心で寮がある大学に通うため、急に受験を決意したのも高校3年生の真夏だった。受験当日の冬の寒さや緊張感よりも、夏期講習で予備校の教室に缶詰めにされジワリと汗ばむ感覚、生徒で埋め尽くされているはずなのに孤独を感じてしまうあの感覚を必ず思い出してしまう。

夏が苦手なのは、学生時代の暗い思い出のせいかもしれない。どうにもそのイメージが抜けないのだ。あれから何度も夏を経験したというのに。

これまでたくさん理由を並べてきたのだが、何よりも、“夏といえば”のレジャースポットが苦手だ。
私の中では成人してからの夏といえば、江の島だった。もう一度、夏生まれさんと共感したい。夏、恋人、誕生日といえば、海、花火、お祭りなど夏ならではのイベントではなかっただろうか。

幼少期の苦しさと大人の切なさを感じてしまう夏を、いつか誰かと安心して過ごせるようになるのだろうか。

恋人と過ごす日々の中でも、誕生日は特別に思い出してしまうのだが、どうも同じ彼と2回目の江の島に訪れたことがまだ一度もない。デートの最後に必ず「また来ようね」と約束しているはずなのに。

1年に一回しか来ない誕生日と、夏という季節の思い出が重なって記憶されているからなのか、どうしても切なくなってしてしまう。

案外、“2回目の江の島”を訪れた日には、私は簡単にも夏嫌いを克服してしまうのだろうか。幼少期の苦しさと大人の切なさを感じてしまう夏を、いつか誰かと安心して過ごせるようになるのだろうか。

ああ、また夏が来る。