あの夏に戻れたら

あの夏、Eはこの世界を捨てた。

私がどれだけ夏を重ねようとEは十七度目の夏に閉じ込められたままだ。

私とEの出会いは高校のグラウンドだった。

私は野球部のマネージャーでEはラグビー部のマネージャー。

野球部のマネージャーは私以外にもいたけれど、ラグビー部のマネージャーはE一人だったから何となくいつも気にかけていた。

そんな私たちはグラウンドを利用する運動部共通のルール、"グラウンドに私情は持ち込まない"を律儀に守っていた。

嫌なことはグラウンドにお辞儀をした瞬間に打ち消す!笑顔で大きな声を出す!マネージャーが泣き言を言っていたら何にも始まらない!男目当てなんて言わせてたまるか!雑用係なんて詰られてたまるか!と。

辛いのに笑うなんて、不健康だと思われよう。

けれどそのルールがあったから私は部活の時だけは嫌なことも汗を拭うのも忘れて白球とそれぞれ形が微妙に違う坊主頭を無我夢中で目で追うことができたし、野球を好きでいられた。

しかし事が起きてからEにとってはそうではなかったのかもしれないと気づく。

そのルールがあったからEの抱えた暗がりを誰も感じ取れなかったのではないか。

私を含めみんなEの光の部分しか目に入れようとはしなかった

二人で遊んでいても私たちはどこまでもマネージャーで、部活の話ばかりしていた。

本降りの雨では中練になる野球部とは違い、ラグビー部の部員達は雨音を聞きつけると雄叫びを上げながら自ら雨に打たれに行く。

そのまま泥にダイブする姿を見ると「野球部が猿ならラグビー部はバイソンだな」としみじみ思う、と私が話すとEは笑って、

ラグビーの試合ではしょっちゅう脳震盪が起きて、その度マネージャーが保護者に連絡を入れたりすると話してくれた。

私は常に向日葵みたいにキラキラした笑顔でゴリムキ部員達をまとめあげるEを尊敬していた。

私を含めみんなEの光の部分しか目に入れようとはしなかったのだ。

"辛いのはあなただけじゃない"と言って辛さを強要するのは最低の励まし

高校一年生の冬、私は転入することになり西日がよく入るあのグラウンドに別れを告げた。

私たちはそれぞれの場所に必死で、連絡は日に日に減っていった。

そして高校二年生の夏、Eは自殺した。

葬儀に参列すると私にとっては懐かしい制服の面々が揃っていた。

帰りにみんなでファミレスに入ると、同級生たちがあくまでも悲しいフリをしながらニタニタとした笑みを隠しきれずに前のめりで話し出すのだ。

「試合帰りに踏切を持ち上げて線路にうつ伏せになったまま轢かれたんだって。終電だったから被害凄かったらしいよ。あ、KのTwitter見た?」

「見た!見た!あいつも悪趣味だよな、ネット掲示板のURL上げるなんて」

「"死ぬなら人に迷惑かけないで死ねよ"、"どうせデブスでいじめられてたんだろ"、"家族は金払って償え。じゃなきゃ殺す"、"死ね死ね死ね死ねってもう死んでるかwww"だってさ」

「音読するなよ(笑)ってか遺書とかなかったのかな?」

「よく分からないけど部活の顧問と揉めてたらしいよ」

-思っていたのと違う-

ごく一部の生徒を除き、Eの死は単なる刺激的なニュースに他ならなかった。

私はその場を離れ、野球部のマネージャー達の輪に入った。

同じグラウンドにいたみんなとならEの死をしっかり悲しめると疑わなかったからだ。

しかしその中の一人がこう言い放った。

「辛いことなんてみんなあるのに死ぬのって逃げだよね」

他のみんなは「あー、まあね」と苦笑いをする。

私は耳を疑い、言葉も発せず真顔のまま硬直した。

けれど怒りもできなかった。

怒りよりも先にショックが来て、ふつふつと湧き上がる悲憤を自覚した頃には彼女たちは全く違う話題で盛り上がっていた。

今でも怒るべき時に怒れなかった自責の念に襲われる。

"辛いのはあなただけじゃない"と言って辛さを強要するのは最低の励ましだ。

辛さはひとりひとり固有のもので比べられないし、
みんなが辛いからといって辛さから免れようとする人を後ろ指指すのは恐ろしい思想だと私は思う。

私の考えの正誤は兎も角、一緒にやってきた人だからこそ自分の言葉でぶつかりたかった。

たとえ分かり合えなかったとしても。

だってもしもEがこの会話を聞いていて怒ったり悲しんだりしていても何も言い返せない。

そんなの悔しいじゃないか。

亡くなった人への後悔は尽きることを知らない

あの夏から五年が経った。また夏が来る。

この世界は相変わらず最悪だ。

人身事故のアナウンスが流れても黙祷する人はこれっぽっちもいない。

大抵の人は舌打ちをしたり眉間にシワを寄せて「本当に参っちゃいますよ」とイラつきながら電話をする。

彼らにとって命は痛くも痒くもない。

命は電卓に映し出された数字と何ら変わらない。

自殺は"自分で自分を殺すこと"だと信じ切っている。

自殺が社会、無数の言葉、匿名的な人々による殺人だと気付くのは自分が殺される立場になってからだろう。

命に鈍感にならないとやっていけない世界にしがみつくほどの価値があるのだろうか。

Eが今いる場所はこの世界の全ての夏の煌めきを集めたよりずっと居心地のよい処かもしれない。

それなのに未だに踏切の音を聞くと"あの夏に戻れたら"だなんて終着点のない妄想を巡らしてしまう。

紫陽花が咲く頃、Eから届いた"顧問と喧嘩した"というメッセージに何と返すのが正解だったのか自問自答を繰り返す。

亡くなった人への後悔は尽きることを知らない。

ご飯に誘って、Eの話に六時間でも七時間でも耳を傾けて、「生きてほしい」と無責任なエゴを囁いて抱きしめるのは簡単だけれど、それでどうなるというのだ。

あの夏に戻れたとしてEの絶望を拭うことができたであろうか。

良くて結末を先延ばしにするくらいだろうか。

こんな時でも瞼に浮かぶEがとびきりの笑顔だから悔しい。

弱い顔、泣いた顔。もっと知りたかった。

あの夏に戻れたら、どうすればよかったんだよ。