緊急事態宣言が出て、友達と会えなくなった。
その代わりにオンラインでの交流が増えた。
「会えなくてもオンラインでちゃんと楽しめる」と
最初の頃は思っていたけど、なんだか物足りない気もする。

遠く離れた友達との、オンラインでの再会。これはこれでアリかも?

緊急事態宣言が出て、4月に行く予定だった旅行がなくなってしまった。
その旅行で会うはずだった、遠方の友達とも会えなくなってしまった。
そこで友達が「せっかくだし、会う予定だった日にオンラインで飲み会をしよう」と提案してくれた。
オンライン飲み会はまるで実際に会っているかのように盛り上がったし、“こんなに笑ったの久しぶりだ”って思うくらい楽しい時間だった。
お店で飲んでいたら閉店時間とか気にしないといけないけど、家だからそれも考えなくていい。眠くなれば退出してすぐに寝ることもできる。めちゃくちゃ便利でラク。旅行には行けなかったけど、これはこれで楽しいからアリかもとも思った。

楽しいけれど、視線が合わせられない。画面越しのもどかしさを感じた

ただ、時間が経つうちに少しずつオンラインならではのコミュニケーションの難しさというか、もどかしさが出てきて、やっぱり直接会いたかったなという気持ちがどんどん大きくなっていった。
そのもどかしさというのは“目が合わない”ということ。
目線をカメラに合わせると友達が見れない。
かといって、目線を友達が映っている画面に合わせると下を向いている私が映ることになる。
これはなかなかしんどいなぁと私の頭を悩ませる。
(こんなことをいうと、普段人と話すときはしっかりばっちり相手の目を見て話していると思われるかもしれないけど、実際はそこまでだったりもするんだけど。)

ただ、目線が合うことで“私の話、聞いてくれている”という安心感はオフラインにあっても、オンラインにはないよなぁと思う。
もちろん、目線が合わなくても友達は話を聞いてくれていることはわかっている。でも、ふと物足りなさというか、距離を感じてしまう。
単に私がオンラインでのやり取りに慣れていないだけで、数を重ねるうちに慣れてくるのだろうか。ただ、なんとなく慣れてしまうのも嫌だなと思ってしまう。

オンラインの時間は、「オフライン」の大切さを気付かせてくれた

深夜1時過ぎまで盛り上がったオンライン飲み会もそろそろ終わろうかという雰囲気になったとき、ふと「今回は無理だったけど、次いつ来る?」という話になった。
その何気ない一言がとてもとても嬉しかったし、「早く会いに行きたい!」と気持ちが強くなった。
オンラインの方がなにかと便利なこともあるし、今もこうやってオンラインで何時間も話しているのに「コロナが落ち着いたら会おうよ」と言ってくれる。私が行くことを待ってくれている。
この一言で“やっぱりオフラインはオンラインに敵わない良さがある”と思った。
それは“その人の人となりを感じることができること”とか“その場の雰囲気を共有できること”みたいな、画面越しでは伝わらない非言語の情報を汲み取れることだと思う。
そして、なにより“目を見て話せること”だと思う。
目を見て話すと、相手もこちらの目を見てしっかり聞いてくれる。いままで当たり前だと思っていたことをより一層大切で貴重なことだと思うようになった。

オンラインでの飲み会が増えて、より手軽にコミュニケーションが取れるようになったからこそ、オフラインではよりアナログな部分を大切にして、目を合わせたり、その場の雰囲気を感じたりして、その時間を楽しんでいきたいと思う。