幼いころ、母の仕事が休みの時だけ作ってくれる、かぼちゃの宝蒸しが大好きだった。

大きなかぼちゃの、種とワタをくりぬき、ひき肉とたっぷりの野菜を詰め込んでまるごと蒸し、仕上げにキラキラと光るこってりとしたあんをかける、まるでかぼちゃの宝箱のような料理。

調理の作業自体は簡単ではあるものの、蒸し時間が30分以上かかるため、毎日疲れて仕事から帰ってくる母が平日に作ることはできない。母の仕事が休みの土曜日か、たまの平日休みのごちそうがかぼちゃの宝蒸しだったのだ。

「きょうは、たからばこにする?」
母とスーパーに行き、そこに大きくておいしそうな丸ごとかぼちゃが置いてあろうものなら、私はすぐに母にそうリクエストする。
母は決まって、いつもそれね、と笑い、大きなかぼちゃを買い物かごに入れてくれるのだ。

遠い存在が一番近い存在になった、高校1年生

地元の2つ上の先輩とは、高校1年生のときに出会った。

くりくりした大きな目と、その目じりにたくさんのしわができる、くしゃっとした笑顔が印象的だった当時高校3年生の先輩は学校のアイドル。対して、特段かわいくもなく、クラスでも目立つ存在ではなかった高校1年生の私。

ある日突然告白してきた先輩には戸惑った。罰ゲームかなにかですか、と、うっかり口にしてしまうほどには信じられないような出来事で。

「そんなわけないじゃん、本気だよ」

先輩と私は、「あこがれの先輩と地味な後輩」から、「彼氏と彼女」というポジションになった。

先輩は、ちょっとチャラそうなその見た目に反して、とても頭のいいひとだった。特に英語が得意で、将来は管制官になるんだと、夢を語ってくれる先輩のキラキラした目が大好きだった。だから、学びたい先生がいる関西の大学にいく、と言われても、特段驚きはしなかったし、私も賛成した。夢をかなえてほしい。単純にそう思った。

そうして、付き合って2年目の春から、私たちは遠距離恋愛になり、それは私が大学生になって東京で一人暮らしを始めた4年目の夏まで続くことになる。

終わりの始まり。3年目の夏のこと

その夏、先輩は関西から東京まで在来線を乗り継ぎ、着のみ着のままで私の狭いワンルームマンションに転がり込んできた。理由は話してくれなかった。

理由なんてどうでもよかった。4年間付き合って、そのうちの3年間を遠距離で過ごした私たちに、一緒にすごせる時間は限りなく尊いものだった。3年間という長い時間を埋めるように、私たちはおはようを言い合い、食卓を囲み、小さなシングルベッドで抱き合って寝た。1日1日がとても幸せだった。

先輩との同棲は、半年ほど続いた。のちのちわかったことだが、先輩は大学を退学していたらしい。先輩が理由を話したくないなら、こちらからは聞かないを徹底するのが彼女としての役目だと、その時の私はなぜか強がっていた。

私の宝箱を食べてほしかった、最後の冬

私が東京に来て初めての冬に、ふと思い立って、かぼちゃの宝蒸しを作った。

「キラキラして、宝箱みたいでしょう? 小さいころ、よくお母さんに作ってもらってたんだ」

そう食卓の真ん中に、大きな宝箱を出すと、先輩はごちそうだとよろこんだ。母に電話で聞いた通りのレシピで作ったのに、その宝箱はちょっとだけ味が薄かった。

その次の日、私がバイトから帰ってくると、先輩は私の前から姿を消していた。朝までパジャマ替わりにしていたTシャツ1枚と、洗面台においてあるお揃いの歯ブラシ。私は絶対に使わないシェービングフォームと、ベッドサイドに置いてあったコンドームの箱以外、先輩のものはすべてきれいになくなっていた。

あの日から5年以上かぼちゃの宝蒸しを作っていない。

あれから、先輩とは一度も連絡を取っていない。

知人伝いに、先輩は関西で出会った女性と結婚し、かわいい娘さんも生まれて、幸せな家庭を築いていると聞く。それでいいんだと思う。

私はといえば、先輩以来、もう5年ほど特定の男性とお付き合いしたことはない。何人か告白してくれる男性はいたし、私自身も好きになる男性はいたけれど、結局お付き合いまで到達することはなかった。

かぼちゃの宝蒸しは、その大きさゆえに一人で食べるには量が多すぎる。先輩のために作ったあの日から5年以上かぼちゃの宝蒸しを作っていない。

こんな私にも、いつかもう一度、かぼちゃの宝蒸しを食卓に並べられる日が来るだろうか。
もしそんな日が来るとしたら、その食卓を囲む相手は、キラキラとしたかぼちゃの宝箱をよろこんでくれる、先輩のようにすてきな男性だったらいいなと思う。