世間一般から見たら、私はきっと劣っているのだろう。
「こんなのもできないの?」
「そんなのもわからないの?」
人よりたくさん経験してきたつもりだったけど、人よりたくさん出来ないことがあった。
そんなの比べられなくたってわかってる。
「私に構わなくたっていいじゃん」なんて強がって。
だけど本当は、すっごく気にしてた。

「なんでみんなと同じように高校に通えないんだろう」
「なんでみんなと同じようにバイトが続かないんだろう」
「なんで友達と笑い合うことが出来ないんだろう」

私の癖になっていた「周り基準」の考え方は、
自分を傷つける、いわゆる自傷行為となんら変わらない。
それを証拠に、周りと比べて劣っていると気にし続けた私が手に入れたのは、自己肯定感の低さだった。
周りを見て自分と比べて、何にもできていない自分に苛立ち、苦しかった。私は私を傷つけていたのだ。

みんなと同じじゃないことに悩んでいた私が伝えたいこと

「なんで、なんで… 」
たくさん悩んだ、たくさん泣いた。
だけど、全部、時間の無駄だった。
そんなことしたって、なんにも変わらないから。
他人の考えが私の考えに沿わなくても、その他人の考えを変えることは私には出来ない。
だから傷つくことを言われても、彼らがそれを正義だと言うのならば、それも正義なのかもしれない。
本当に私に必要だったのは、悩む時間や泣く時間でもなければ、自分を劣っていると責める時間でもない。
それは、自分自身が変わるということ。
ただ、それだけだった。
周りを変えることはできなくても、私自身を変えることは、いつだってできる。

私が自分を変えるために行っていたことをここでちょっと、紹介します(参考になるかはわかりませんが…)。
1・・・「毎朝家を出る前に鏡を見て笑う」
これだけでも充分効果的!
需要なのは「毎日行う」ということ。
三日坊主、なんて言葉があるくらいすぐにやめちゃう人もいると思いますが、初歩的なことが大事だってこと、たくさんあると思います。
毎日の積み重ねが、その人を作ると思うから。

2・・・「自分を分析する」
「少し難しいのかな?」と思うけど、とても大事なこと!
自分が何ができて、何ができないかを理解して、できることを伸ばしてみたり、できないことを少しだけできるようにしてみたり、心がけるだけでできるようになります。

3・・・「周りを見ない」
簡単そうにだけど1番難しいのですが…、スーパーやモールなど人の多いところでは、私は人の目を気にしたり、スタイルいい人とかを見てしまいがちです。
だけどそんなの無視!無視です!
目線が気になる素振りをあなたが取るから、周りはあなたを見てしまうんです。
「見ないように」と意識し続けると、自然と身についてくるものですよ。

みんな全員同じくらいの容量なことなんてない。
なんでもできる人もいれば、なんもできない人もいるし、なんにもしない人もいる。
どれが正解なんてないけど、自分にとって1番心地のいい考え方であれば、それでいいと思う。

そのコメントする前に、ちょっとだけ考えてほしいこと

そうやって変わろうとする私を、よく思わない人も出てきます。
初めはチクチクと刺さる痛みも、増えていけば本当の凶器のようなものになる。
現代は、子どもの頃からSNSを活用するようなネット社会だ。
まだなんにも知らない子どもたちが、無意識にも人に凶器を向けているところだってたくさん見てきた。

そして私も実際に、たくさんの人の意見に何度も心を殴られ、傷ついたことがあった。
あまり人と関わらない私でも、小さい誹謗や中傷は受けるのだ。
いじめを受けていた頃、よく言われた「髪型ダサくない?」「私服がダサい」「どうせ一人なのに、学校来て楽しい?」私に対する言葉は酷いことばかりだった。
そして私が変わろうと努力する途中にも、よく思わない人がいて「そんなことして変わるの?」「なににも変わってないよ?」と、彼女達が当時どういう気持ちで言っていたかは、今も聞けてないけど「みんな変わりたかったのかな」と今は相手を肯定できるくらいに成長したと思う。

表舞台に出ている人なんて尚更に苦しい思いや誹謗中傷に悩まされているだろう。
認められれば認められるほど、それに対する批判だって増える。
一人の何気ない呟きがどれほど凶器になるのか、知らない子どもや大人が多すぎる。

比べる人ほど、ろくな人はいない。
優劣つける人ほど、ろくな人はいない。

私は人のものさしに刺され傷つくよりも、自分自身を守り愛せる人になりたい。
周りに流されない強い心と自分という存在。
結局、私が言いたいことは、劣っているということは、秀でているということでもあるっていうこと。
短所は長所だということ。
馬鹿と天才は紙一重だということ。

ただ朝日が登って、夕日が沈む空を美しいと思うまで。
「今日も一日頑張った自分にお疲れ様」
「自分として生きれた今日にありがとう」