性自認を聞かれても、自分の個性を信じて好きな服を着る

留学先のドイツから日本に帰国したとき、真っ先に考えたのは服装のことだった。
私の体型は太めだ。
ドイツに住んでいて、屈強で自分以上に体の大きい女性たちを見慣れたせいか、体型を気にすることなく、暑い日はタンクトップにホットパンツ、派手なショッキングピンクや蛍光色、宇宙柄のダウンジャケットを着て生活していた。
私の派手なファッションを見た、ある日本人女性は「うわ、それ着てんの…」「ってか派手過ぎ」と、いちいち自分のファッションがマシって言いたいかのようにマウンティングをしてくる。
一方、同じコーディネートを見たアルバイト先のドイツ人の同僚からは「かっこいいね!どこで買ったの?」とか、見知らぬドイツ人の女の子にも「そのジャケットどこで買ったの?教えて!」なんて話しかけられたこともある。
しかし、日本に帰ると家族からは「あまり派手な服は買うな」と言われるし、年齢に不相応な服だとか、ドイツで着ていた服は日本で着れないなと考えてしまう。
着たい服を着るというこだわりは、学生時代からあった。
中学校に入学すると女子の制服は、強制的にスカートになる。
私服ではスカートを一着も持っていなかった当時の私は「なぜ学校ではスカートを履かなくちゃいけないのか」という不快の気持ちでいっぱいだった。
なので、当時はまだ少なかった女子用の制服ズボンがある高校ばかり志望校に選んで、担任には「ズボンのある高校に行きたいです」と告げ、担任が苦い顔をしていたのを覚えている。
高校入学後、私は学年で唯一、ズボンを穿いて登校する女子生徒になった。
まだ新設されて2年目の高校だったため、当然私のズボン登校は周りから奇異の目で見られたり、男子からの罵倒の対象になった。
「うわーきもっ!!女がズボン穿いてんじゃねー」
「女子トイレに行くな、紛らわしいんだよ」
ある時は、バイトの面接で「君は男の子になりたいの?」なんて質問してきた面接官もいた。
別に男性にもなりたいとも思ってもないし、ただズボンを穿きたいときもあって、スカートももちろん着ていた。
考えてみると、私は着たい服を着ている人生なのだが、周りから服装のことに関して言われるとやはり考えてしまう。
「あまりにも派手で目立つ」と家族に言われたせいで、お気に入りだった宇宙柄のダウンジャケットを購入してから着ることがなかった。
留学先のドイツでは服代がもったいないので、宇宙柄のダウンジャケットを持って行った。
着心地がいいし、すっかりヘビロテしていた。
日本で着ていると「目立って恥ずかしい人って思われているのだろうか」と考えていたが、ドイツではそんなことは全く考えなくなった。
女性であるなら、男性に好かれるような服装、“モテコーデ”という言葉が雑誌で特集記事をよく組まれている。
デートにはスカート、フリル付きの服がモテるなんて「一体誰のために着る服なんだろう」と考えさせられる。
学生時代から、常に女性としてあるべき服装を求められてきていたような気がする。
それに少しでも外れると「お前って男になりたいの?」って面識のない同級生から性自認を求められた。
あれから月日が経って現在では、女子用の制服ズボンを採用する学校が増えて、着用する女子生徒が増えたとニュースで見た。
着たい服を着る。
それでいいんじゃないだろうか。
ある人はいつまで経っても「この服装やばいよ」なんて小言ばかり言ってくるけど、気の許せる友達は「もうショッキングピンクのズボンで歩いてくるあんたがすぐ分かったー!」なんて笑いながら会話が弾む。
何度も言うが着たい服を着ればいい。
相手に好かれるための服装なんて、自分を偽っているのと同じだ。
そこに女性らしさ、男性らしさの恰好なんてない。
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