私は近所に住む男の子(以下R君とする)に小学5年生から高校2年生まで、7年間片想いをしていた。当時の私は、今の無気力事なかれ主義な人間からは想像できないほどの情熱を持っていた。恐らく人が持ち合わせている一生分の情熱を私は思春期で使い果たしたのではないかと思う。

話したいけど話せない。思いを募らせた小中学校時代の思い出

こういった前置きをすると、友人達は私がさぞかし毎日大胆なアピールをR君へしていただろうと期待を込めてエピソードの数々を聞きたがるのだが、実際のところそんなものはない。私は極度の恥ずかしがり屋なのだ。
R君とは、小学5年生からの2年間同じクラスになり仲を深めただけで、中学生からはクラスも離れ離れとなり「おはよう」の挨拶も含めて一切の会話を交わす機会がなかった。そのため、トイレに行くときに横目で姿を盗み見たり、全校集会で体育館に召集された際に遠くから見える凛々しい姿に胸をときめかせながら過ごしていた。
当時の友人からはお互いに顔見知りなんやから声をかけたらええやん、と言われたが、R君と接点を持たなくなった私からすると他クラスの男子にわざわざ話しかけに行くなんて、「私はあなたが好きです」と周りに公言しているようなもの、周囲の目を気にして生きている私にはハードルが高すぎてとてもじゃないができなかった。
告白をすることもなく、ただただR君への想いを募らせるだけの中学生活も終わりが近づき、あっという間に高校受験の日を迎えた。あがり症の私は会場の緊張感に呑まれてしまい、午前中の科目で思うように力を発揮できなかった。落ち込みつつ弁当を食べる。ふとR君はどこを受験するのか、高校が別々になれば本当に関係性が終わってしまうと更に気持ちが落ちかけた時、隣の席からR君の声が聞こえた。まさかと思いつつ誰にも気づかれぬようそっと目だけを横にすると、私の左横に座る男子の元で談笑するR君がいた。同じ高校を受験すると知った途端スイッチが入った私は驚異の集中力を発揮した。
ドキドキの合格発表。結果は、合格。因みに自己採点した結果は、午後の教科の正解率が90%を超えていた。R君パワー凄まじ。
ただ1つ問題がある。R君の結果だ。実名と受験番号の両方が張り出された表から、私は一文字も漏らさないよう最新の注意を払ってR君の名前を探す。あった。私の高校生活はバラ色決定である。

同じ高校に入学して、勇気を振り絞って連絡先を交換

晴れて高校生となった私だが、入学式に知ったクラス編成で奈落の底へ突き落とされる。R君は1組、私は9組、しかも1組と9組は校舎が別棟。今までトイレに行く際に廊下の窓から見えるR君の姿に癒されていたと言うのに、別棟となればそれすらも難しい。しかも1組と9組は進学クラスのため3年間クラス替えがない。私の高校生活は終わった。

あっという間に時は過ぎ高校3年生の春。私は相変わらずR君への恋心を募らせ続けていた。大事にし過ぎて薄らカビが生えるぐらいに。流石の私もこの想いにケリをつけねばと思い始め、クラスの友人に相談をした。たまたまその友人がR君と共通の知り合いがいると言うことで、話す場を設けてくれることになった。片想い8年目を迎える直前にして現れた恋のキューピッド、神は私を見捨てなかった。失敗は許されない。携帯を奪ってでも連絡先を交換しろと言う神のお告げを胸に、渡り廊下で待つR君の元へ向かう。僅か5分ほどだったと思うが、極度の緊張からかR君と話した際の記憶がなく、気づいたらメアドを交換し終えていた。こうして連絡先を手に入れた私は、次なる神のお告げ通り毎日R君へメール攻撃をした。その甲斐あってか、晴れて私はR君の恋人になった。

それからの毎日は文字通りバラ色である。大学受験を控えているため、デートには中々行けなかったが、それなりに楽しく過ごしたと思う。
想い続ければいつかは実ることを実証した訳だが、実ってめでたしめでたしで終わらないのが人生である。R君との付き合いは1年ちょっとで終わりを告げた。原因はすれ違い。大学が別々になった私たちは新しい環境への変化に対応できなかった。現実とは厳しいものだ。

R君との別れ。あれから10年を経て。

あれから10年の月日がたつが、ふと長い片想いの日々や恋人時代を思い出す瞬間がある。私は地元から上京したため、R君の現状を全く知らない。家庭的な人だったから、結婚して子どももいるだろう。願わくば、お互いに酸いも甘いも知り尽くし、白髪で杖をつく歳になってからもう一度会いたい。初めて遠出をした思い出の神戸港で、景色が見渡せるベンチに座り潮の匂いを感じながら、歩んできた人生を語り思い出話に花を咲かせようじゃないか。