私が新卒で入った会社には、ドレスコードが決められていた。制服がなかったからかもしれないが、勤務中のジーンズ、半ズボン、ミュール、ブーツ、Tシャツの着用が禁止されていた。
しかし、そこにノースリーブに関する規定はなかった。そのことが、社内でちょっとしたしこりを生み、火種となり、静かな争いとなっていった。

「ノースリーブを着たら、先輩にいい顔をされない」

女性の多い会社で、いわゆる”女性社会”で生きていかなければならない状況だった。
私が就活生だったとき、会社説明会や採用面接ではしきりに「みんなさっぱりしているから、いざこざなんてないよ~!」と採用担当者は口をそろえて言っていたが、実際に入社してみるとそんなことはなかった。

言い過ぎかもしれないが、「職場の人間関係の良さ」を強調してばかりの会社は、他に言える具体的な良いところがないから、そう言うのではないかとさえ思った。

会社には服装に関する規定が細かくあったが、冒頭にも述べたとおり、ノースリーブに関する決まりは特になかった。それくらい自分で判断しなさい、ということなのかもしれないが、私はいっそのこと規定してしまったほうがよいのではないかと思う出来事があった。

私自身はもともとノースリーブを着ることに抵抗があったため、プライベートでもほとんど着ることがなかった。また、暑がりではなくむしろ寒がりのため、社内の空調が強くきいている職場でノースリーブを着るという考えは一度たりとも思ったことがなかった。

しかし、私が新卒で入社して3ヶ月が経ち、7月になったころ、暑くなってきたこともあり同期の中には「ノースリーブを着たい!」といっている人もいた。

ただ、社内には「ノースリーブを新人が着たら、先輩にいい顔をされない」という噂がまことしやかに流れていた。その噂に戦々恐々とした私たちは、その夏、誰一人としてノースリーブを職場で着ることがなかった。少なくとも、着ていたとしても上に羽織りとしてカーディガンなどを合わせている人が多かった。
そうしているうちに、暑い夏は静かに過ぎていった。

ある新人がきっかけで、ノースリーブ論争が勃発

入社して1年が経ち、新人さんたちが入ってきたことから、私たちも先輩と呼ばれる立場になった。

新人の中には、「自分」という個性を強く持っている人が一人いた。その人はどんどんと自分の意見を言い、入社直後から他の社員たちのあいだで話題になっていた。

私は何か意見があったり、ちょっと違うかなと思っても、なかなか言い出せない性格だったため、何音にも物おじせず意見を言う彼女の姿はかっこいいと思ったが、堅苦しく、いわゆる日本らしい雰囲気のこの会社では、過ごしづらさを感じるかもしれないと思っていた。

私は彼女と直接かかわる機会はなかったため、ニュートラルな立場でいたが、「自分」を前面に出す彼女は、言ってしまえば女性の先輩ウケの悪いタイプだった。

そんな彼女がノースリーブ論争の火種となった。
夏になり、暑くなってきたころ彼女が職場でノースリーブを着ているという情報が回るようになった。

彼女や、彼女の同期に、私たちが一年前に聞いた「ノースリーブは先輩にいい顔をされない」という噂が届いていたかはわからない。その噂を聞いていても、強い彼女なら、気にしなかったのかもしれない。

彼女のノースリーブでの勤務が続いていたある日、彼女が課をまとめる課長と、彼女の教育係の先輩に呼ばれたという噂が回ってきた。話によると、ノースリーブは控えるように、とお説教をされたというのだ。

袖ありはよくて、袖なしはだめ。先輩はよくて、新人はだめ。

しかし、彼女はやはり強かった。「他にも着ている先輩がいるじゃないですか」と言い放ったようだ。上司たちは「それはわかるけど、新人だから、ちょっと我慢してほしい」と言ったそうだ。

話し合いはうやむやになったまま終わったそうだが、この話を聞いた私は、ノースリーブが職場に適切ではないのではないかという意見は変わらないものの、その新人の肩を持ちたいと思った。

何かを注意するのであれば、平等であるべきだと思う。先輩であればよくて、新人はだめ、というのは、どうかと思う。

そして、上司たちに呼ばれるという、緊張する場面でも自分の意見を言った彼女を、すごいと思った。

私は今はその会社を離れたため、現在ドレスコードがどのようになっているかはわからない。
しかし、ドレスコードの規定に、できればノースリーブも追加してもよいのではないかと思っている。人事部や総務部の人たちは、そんな小さなことを、と一蹴するかもしれないが、実際に社内でいさかいは起きたのだから。
静かな、しかし激しいノースリーブ論争が。