身体が剥き出しで走る爽快感。ギアチェンジをガチャガチャと、自分は車体と一体になった気分。エンストをして焦ってしまうこともあるけれど、自分で動かして走っている感覚が楽しい。運転することだけに集中ができるから、ストレス逃避ができる。まるで風になった気分で心地よい。

赤信号で信号待ちをしている時、歩道を歩く小さい女の子が、ゆびをさして手を振ってくれた。咄嗟のことで、驚きあたふたと心臓がバクバクした。かっこいいお姉さんでクールに決めたいのに、動揺でエンスト。青信号をかっこよく走り出せなかったのは、ちょっとダサかった。

私が憧れたのは「バイク女子」じゃなくて峰不二子

私は普通自動二輪免許を保有している。
世間で言われる、所謂バイク女子。“◯◯女子”はキャッチーなワード。
興味を引きやすい言葉だから多用され、様々な場所で乱用されている。特に女性が参加している数が少ないと◯◯女子と使用され、まるで珍しいものかのように扱われる。そのコミュニティ内で少数派、しかも女性であると、すぐに年齢に関わらず“女子”と名付ける。相手に一方的にカテゴライズされるのは、少しだけ違和感を持つ。

幼少期にルパン三世に出てくる峰不二子を観たことが、私を奮い立たせた小さな事件。「なんて颯爽としてかっこいい女性だ!私もいつかバイクに乗る!」と目を輝かせて、免許をとるんだとワクワク期待を膨らませていた。

「女の子だから」投げつけられた理不尽な言葉

バイクに乗る一歩として自動車学校へ通い出した時、教官から「なぜバイクを乗ろうと思ったの?自動車免許だけでいいでしょ、女の子なのに珍しいね」と言われた。「興味があるからバイクの免許も取りたいなと思ったんですよ」と返したら、「女の子はギアチェンジ下手だからね。まあ、コマ数はみ出てプラス教習にならないように頑張ってね」と返された。

プロテクターとゼッケンをつけて教習の時間を待っている時、同じ教習を受ける男性に話しかけられた。「女の子なのに珍しいね」と言われた。「やっぱりそうなんですかね。今まで一緒に教習受けるペアになる人は、そういえば男性ばかりかもしれません」と返したら、「そうだろ、バイクに乗ろうなんて、どうせ男から教えてもらったんだろうけど」と返された。

初めて坂道発進の教習。男性とペア教習になった。教官が説明をして手本を見せる。いざ実践となった時、「君はエンストしないようにね。難しいだろうから先に男性の方からやろうか、お手本だよ」と言われた。男性は初めてだったからか、失敗をしていた。私は緊張していたけど、なんとかクリアできた。

バイクの免許を取った後に知り合った人が、バイク乗りだと耳にした。共通話題を出して盛り上げようと「実は私もバイク乗れますよ、趣味程度なんですが」と返した時、「え?そうなの?じゃあ、あのパーツの...」とメカニック的な話を切り出されて、分からなかった。「すみません、乗ることが好きなんです」と答えたら「あーファッションバイカーね、バイク女子にあるある」とゲンナリされた。

それ、性別なんて関係なくない?

私はメカニック的なことは詳しくないが、女性で詳しい人はたくさんいる。私が細かいところまで詳しくないだけ。かっこいいだけで、それが理由で、乗ったらいけないんだろうか。

「女の子“なのに”」「女の子“だから”」なんて言葉、飽き飽きしている。じゃあ君たちはなんでバイクに乗ろうと思ったの?かっこいいからだけじゃ、理由にならないの?

私は「女の子だけど」バイクに乗っているのではない。私は「私だから」バイクに乗っている。

理由はバイクがかっこよくて好きだから。好きに理由なんてなくても、それだけで十分バイクに乗る条件を満たしているでしょ。

次の信号待ち。再び小さい女の子が手を振ってくれた時、かっこよく走り出せるように、君がかっこいいと思ってくれるように、颯爽と走り出す練習をしないとね。