私は、一番の友達にもう一年以上会っていない。
友達に一番も二番もあるかとは思うけれど、一番、なんというか、そう、特別だった。大学生になって知り合った子の中では、特に。
共通点の多い私と彼女の居心地の良い距離感
私と彼女の共通点は、素直で、それゆえちょっと生きづらいところだ。
彼女は脳と喉が連結しているタイプなので思ってることをバンバン口に出すし、私は私で脳と表情筋が連結していて、思っていることがすぐ顔に出る。
素直で、気にしいで、ちょっと繊細で、さみしがり。なんだか要領悪いかもね私たち、なんて妙な仲間意識を持っているのは私だけかもしれないけれど。
そんな一番の友達と、いつもべったり一緒にいたわけでもなかった。
そもそも学部が違うので取っている授業が全然被らない。中身は似ているのに、興味のあることは全くもって被らない。
彼女はきっとソクラテスのソの字を聞いたくらいで寝てしまうだろう。私もドイツ語は呪文にしか聞こえない。そこが面白いんだけれど。
毎日連絡をとるわけでもない。ただ、賑やかな彼女がインスタグラムをしばらく更新しないと、ちょっと心配になって話したくなる。電話したいなとか送っちゃう。
高校生の歯痒い恋愛みたいな、そんな関係。
私たちはたぶん、お互いのことを真に否定したことがない。
お互いが好きなことを無碍に扱ったりしないし、例えば重大な決定をしても相手の意見を尊重する。変な男にひっかかっていてもやめときなよとは言うけれど、結局相手がそれを聞かないことをわかった上で発言している。
それがいい。それが心地よい。繊細な私たちにとって、お互いは安寧の地だった。
「安寧の地」である彼女が旅立って、溢れだす本音
そう、重大な決定といえば、彼女はこの一年ドイツに留学していた。
実家暮らしの彼女の初めての一人暮らしが異国だなんて、と親のように心配したけれど、まあしたかったんだろうなと口には出さなかった。
その一年の間に、私は3年間続けていた部活を辞めた。それを告げると、彼女は電話しようと言ってくれた。電話で「元気ならよかった」と私を包み込んでくれた。ちょっと泣いた。
会いたい。大事な友達。会って話したい、たくさん。電話もいいけれどそれよりも、会ったときの安心感にお互いの価値を置いているから。
昼からお気に入りのワンピースに焼肉の匂いを染みつかせながら、バカみたいにホイップの乗ったフラペチーノを溶かしながら、たった一杯のチューハイに酔いながら。そんな大切な思い出は、安心感から出来ている。
この一年の間にあなたに話したかったことたくさんあるのに。
一緒に行きたいお店も、食べたい甘いものも、行きたい陳腐な映えカフェも、たくさんあるのに。
この一年が終わったらいっぱい会おうね遊ぼうねって約束していたのに。
ドイツで撮った写真とそれを見ながら笑うあなたを楽しみにしていたのに。
もう20歳超えてるのに、あなたの帰国を、半ば指折り数えて待ってたのに。
それなのに、なんで会えないんだろう。同じ日本にいるのに。いや、互いの健康のためだって分かってはいるんだけれど。こんな情勢下じゃなかったら、って考えてしまう。
「のに」「のに」ばっかりになっちゃう、だって、さみしかったんだよ。ずっと、言ってなかったけれど。長年の夢を叶えて輝いているあなたに、水差せるほど伊達な親友じゃないからさ。
次会うときは、とびっきりにメイクアップして集合しよう。
お互いのやりたいこと全部やろう。食べたいもの全部食べよう。
それで、この一年間の話をもう飽きたわっていうくらい喋って、さらに一年前の昔話に花を咲かせて、今度はもう一年分未来の話をしよう。
今は会えなくても、会えなかった分、未来に想いを巡らせればいいと思う。私の中では勝手に、一緒に卒業旅行に行く予定になっているんだけど、どう思う?
この一年会えなかったことが、あのたった一年、と言えるように。そう思えないと、だって、さみしいじゃんって本音を言うと、あなたは「かわいい」と笑ってくれるかな。