「次会うときは」

友だち付き合いが得意、とはけっして言えないわたしにだって、ほんの数人、だけど、心から大切に思う友だちがいる。それは本当にありがたいことで、わたしには奇跡に近いことで、なにを隠そうわたしはそんな友人たちの誕生日をきちんと記憶している。(えっへん)

決して多くない友達の誕生日。だから、私にとってはいつも特別な日

いや、当たり前でしょ、と言われてしまうかもしれないけれど、意外とこれはそんなに簡単なことではないのではないかと思う。もちろんスマートフォンでリマインドもしているし、そもそも日付を覚えているから、数日前から、下手をすれば、その月に入ってからずっとそわそわしていたりする。なのに、それでも、そんなに気合が入っていてさえ、当日なにか予定外のトラブルに見舞われて忘れたり、遅れたり、間違えそうになったり、and so on……。

実際にわたしの誕生日にだって、当日は誰からもメッセージがなくって、すねていたら夜中にやっと一件、なんてざらじゃないのだし。おとなは忙しく、忘れっぽい。二十を過ぎれば誕生日なんてただの平日、という意見だってよくわかる。

けれどわたしはやっぱり、こんなわたしと仲良くしてくれる天使たちの生まれた日を盛大に祝わずにはいられない。これはもう聖誕祭だ。毎年おおげさにはしゃぐさまが、たとえどんなに滑稽だとしても。長い付き合いのきみたちにもはや、なかば迷惑がられていたとしても。

今年は会えないまま過ぎたあなたの誕生日。ねえ、最近どうしてる?

わたしは待ち合わせがへたくそで、昔はドタキャンの癖がひどくて、時々、調子に乗って余計なことを言ってしまうし、心を許した人以外にはちょっと意地悪になるときもある。許せないことがたぶん人より少し多くて、すきなものの話をするときには興奮しすぎて早口になるし、そもそも、人と会うとぐったり疲れたりするので、無謀な約束はあんまりしないようにしている。だけど、彼・彼女らはそんなわたしを面白がったり、慰めてくれたり、許してくれたり、ただずっと変わらずにそこにいてくれたりする。それがわたしにとってどんなにどんなに嬉しいことか。

お互いが小学校二年生のころからの付き合いの親友がいて、彼女の誕生日は一月の末だ。ふたりとも仕事が忙しくって、やっと取り付けた約束は二月の真ん中で、わたしの体調不良で伸びてしまった。気が付けばもう、世の中は、とても待ち合わせをできるような状況ではなかった。

次に会える日はいつになるのかわからない。わたしにも彼女にも、それぞれの仕事にこのパンデミックの余波が及んだ。もちろん心配だけれど、わたしたちの間にはあまりべったりと連絡を取りあう習慣もなくて、結局しばらく動静がわからないままでいる。

大好きな彼女への「おめでとう」は、次会う時までとっておく

わたしのクローゼットの一番いいところには、去年、彼女がくれたわたしへの誕生日プレゼント。きらきら光る宇宙船のかたちのクリスマス・オーナメント。わたしは時々それを手に取って眺める。外でも見られるように写真も撮って、フォルダに入れている。
そしてハンガーラックの端にはラッピングして、かわいい紙袋に入れて、そのままになった彼女へのプレゼント。正月に京都に行って、そこで買ったのだ。一か月近くもフライングしていたことになる。でも、絶対にすきそうなんだけどなあ。

次に会う日にはとびきりかわいい服を着て、やっぱりとびきりおしゃれな彼女の服を褒め、どこかでおいしいものを食べよう。我慢していた分の買い物をしよう。そして今年も、来年も、それからもずっとよろしくねって、照れくさいけれどきちんと言おう。
この先の未来がどうなるかなんて、今はちっともわからないけれど、それでもきっと、どんな世界でも、わたしは君に「おめでとう」を言い続けるから。