私は、一重で体型も決して整っているわけではない。

小さいころから写真映りが悪かった。
割と腫れぼったいまぶたで一重。しかも、斜視(3歳の頃に手術して訓練したけど、不意の時とか目が疲れた時とかは、今も両目の焦点が合わなくなる)。

保育所のお芋掘りの写真で、振り向いた時に太陽の光が眩しくて目を細めている私。見た瞬間「睨んでる!」と5歳の時に思った。案の定、周りの子どもにも言われて笑われて、幼いながらに「バカにされてる」と感じて初めて自分の目元に自信をなくした瞬間だった。

自分の美意識を180°変えた、一重でもきれいな女優

私は、人懐っこくいい意味であほな子どもで、親族にも保育所でも学校でも割と可愛がられてたけど、中学生になったころから外見に囚われはじめた。
中学1年生のころ、隣のクラスの子が廊下で告白されて恋人になった時、1番仲のよかった友だちが告白された時、可愛いと噂される子を知った時…みんな二重でぱっちりした目元の子だった。
私もそういう子を「可愛い」と感じてた。
まあ、今でもぱっちり目元は可愛いと思う。

アイプチとかメザイクとかで二重を試してみたけど、超絶不器用な私には上手くできず早々にやめた。好きな人もいたけど実った恋はなかった。高校生も似たような感じ。

大学生の時に、初めて恋人ができたけど「こんな一重で可愛くない私で写真とか友だちに見せるの嫌じゃないかな」と心配になった。
今でもぱっちり二重に憧れる節はあるし、一度はぱっちり二重になってみたいとも思う。

ところがそんな私は一度だけ、小学生の時に心底驚かされていた。
ドラマの『HERO』にはまり、出演していたりょうさんを見て「きれいな人だな」と思ったのだ。「一重やのにきれい!」と思ったものの、自分の美意識とは180°違っていたので、本当にきれいなのか不安になった。

「りょうさんは、すっっっごくきれいです」一重で切れ長な目元のりょうさん。すると、家族もりょうさんをきれいだと称賛していて「一重でも周りがきれいだと感じるんだ」と驚いた。

そして高校生の頃。部活を引退して化粧を少し覚えた。そのころから「アジアンビューティだよね」と時々褒められるようになった。衝撃だった。
そんなこんなで一重の目元に少し自信を持てるようになった。
けどやっぱり「目つき悪い」「睨んでる?」「アイプチとか整形しやんの?」と言われることが多く、どうしてもコンプレックスだった。
写真やプリクラを撮る時、わざと目を瞑ったり、伏し目にしたり一重の目元を誤魔化してきた。

いい言葉でも、私は言葉の背景に感じる上下関係にすごく腹が立つ

今日、一重や薄い奥二重の芸能人の人気が性別は関係なく急上昇しているように感じる。
SNSや雑誌でも、メイクの投稿はぱっちり二重の人が多かったのに、最近は「#一重メイク」をよく見かける。ずっと「ぱっちり二重が可愛いの基準で、一重は整形とかアイプチで二重にするのが当たり前」「一重は可愛いに届かない」の風潮がある気がしていたが「一重が許されてきた」「受け入れられてきた」雰囲気になってる気がする。

一見いい傾向に思えるけど、私はすんごく腹立たしい。

まず「受け入れる」と「受け入れられる」の言葉の背景に「受け入れてあげる」と「受け入れてもらう」という上下関係があると常に思う。「受け入れさせてください」だと思う。

「私はあなたを受け入れます」って、よく考えたらえらく上から目線な気がするのは私だけなのだろうか?

最近、Netflixで『Orange Is the New Black』というドラマを観た。「めちゃくちゃ面白いから是非観て!」って勧めます。
その中で自分の身体に自信を持って振る舞う女性たちが大勢いた。また、年齢など気にせず色んなことに積極的で、自信を持っている人もいた(面白味はここだけじゃないし、もっともっと深いけどここでは長くなるし書きません)。

また別の番組で、内側も外側も変えていく番組がある。『クィア・アイ』という番組。例えば「太っている身体をコンプレックス」と主張するクライアントに対して「すごくセクシー!みんなそうなりたくて必死なのに贅沢!」と褒め、他のコンプレックスに対しても、心身共にその人のすべてを包んで励まし、認めていく。観ているだけで励まされる番組だ。

イメージではなく、それぞれの好みを自由に選択できる世の中に!

ここで日本の(世界の?)女性に対する風潮を考えてみた。
何で二重になりたいの?
→二重が可愛いと思うから

何で痩せたいの?
→細い方がきれいだから

何で脱毛するの?
→肌がツルツルの方がきれいだから

こんな風にメディアやSNSで社会が作り上げたイメージの中で生まれ育ち、確実に洗脳されている状態で、一重でも二重でも、太っていても痩せていても、色白でも色黒でも、痣があってもなくても…と、自由に選択できると思う?
私はできないと思う。

克服したとしても、外見に囚われるルッキズムが多いこの世の中で自分の主張がどれくらいできるのか、一重をバカにされた時のことを思い出すと胸がぎゅっとしんどくなる。

私は幸い周りに恵まれて、傷つけられても一重の自分を好きでいられるけど、もういい加減人の見た目をバカにして笑ったり消費する社会なんていらない。

それぞれの好みを自由に選択できる世の中を次世代に残したい。