私は、しがない事務員である。大企業とも中小企業ともいえない、中途半端な企業で事務をしている。新卒で就職活動をして、今の会社に入社した。
当時は就職活動がうまくいかず、数えきれないほどの企業に履歴書を送っては落とされ、やっと面接に漕ぎつけても落とされ、最終面接になっても落とされる日々を過ごした。
周りの友達が内定を決めていくのに比例して、私の焦りは酷くなっていった。
就活をし始めた頃は「自分の好きなものは何だろう?」だとか「やりたいことは何だろう?」だとか、夢や希望に満ちて活動していたのだが、日に日にその気持ちは薄れ、お断りメールに慣れてきた頃には私の体重はマイナス4kg。
体調を崩して大学の健康診断にまで引っかかり、就活真っ只中に再検査を受けていた。
社会人になって「お金へ価値観」が変わってしまっていた
そんな就活を乗り越え、やっと入社した今の会社。
好きかどうかと聞かれると、正直なところ、それほど愛着もない。苦労した思い出は、しっかり脳内に刻み込まれているというのに、内定を出してくれたことに恩義はあれど、何年働いてもあまり好きにはなれないのである。
夢や希望がなくなって、とにかく外聞のために働かせてくれという気持ちで入社したものだから、どうにも向上心が湧かない。さらには、社内の人間関係で揉めたり、やりたくない仕事を任されたり「仕事とはそういうものだ」といわれてしまえばそうなのかもしれないが、今の会社が向いているとは、到底自分では思えないのが現状である。
とはいえ、食べていくには働くしかない。時に馬車馬のごとく、時にぼーっとしつつ働き、毎月給料をもらう。給料は生活費だったり、習い事や趣味だったり、気がつかないうちにどんどん溶けて消えていく。
小学生の頃に握りしめていた100円は、毎朝飲むカフェオレの金額にも満たない。毎月有難くも無意識に振り込まれる給料。簡単に消えていく1,000円札。私のお金の価値は、いつの間にか変わってしまっていた。
しかし、お金の価値は下がることもあれば、上がることもある。それがわかったのはここ最近のことだ。きっかけは趣味のハンドメイドだった。
ハンドメイド作品と誰かの縁が結ばれたときに感じる喜び
私は趣味で、ハンドメイドアクセサリーを制作している。ちりめん布を切って折り紙のように花を作り、それをアクセサリーに仕立てている。日本の伝統工芸、“つまみ細工”だ。
とはいえ、まだまだ初心者だ。花弁の形がうまくいかないこともあるし、思ったように葺けないこともある。カラーリングや布の種類もまだまだ勉強が必要で、さすが伝統工芸、奥が深い。
ハンドメイドをしていると、どんどん物が増えてくる。作品はもちろん、資材や工具、写真撮影のための小道具など。あれも作りたい、これも作りたいと妄想を膨らませて大量に仕入れた資材たち。資材が増えれば、当然完成した作品も増え、自分用に作るだけでは物足りなくなってくるのだ。
そこで、私は自分で制作したハンドメイドアクセサリーの販売を始めた。比較的うまくできたものや気に入ったものを展示会イベントに参加したり、インターネットを使ったりして販売するようになったのだ。まだまだ初心者の私の作品を買ってくれる人は少ない。
しかし、時々私の作品を手に取ってくれる人がいる。「かわいい」と言ってくれる人がいる。作品と見知らぬ誰かの縁が結ばれたとき、たとえ1,000円の作品であったとしても、私にとっては1,000円以上の何十倍もの喜びになるのだ。
私がハンドメイド作品で得たお金には、一切手をつけない理由
自分が心を込めて作った作品を通して手にしたお金は、本業の給料に比べればまだまだ少ない。お小遣いにもならないぐらい少ない。
しかし、そこにある価値は比べ物にならないほど大きくて、もっと上手になりたい、たくさん作りたい、これからも頑張ろう、と思う原動力になるのである。
私は、ハンドメイドで得た売上金には一切手をつけていない。それはもちろん本業の給料で今のところ生活ができているからという現実的な理由もあるが、それ以上に、私にとって心から楽しいと思えることで得たお金は尊いのである。
世の中には、やりたいことや好きなことでご飯を食べていける人がどれだけいるのだろう。「仕事が楽しい」と大声で言えて、その給料に価値を見出せる人がどれだけいるのだろう。
生きるためには働かなければならない。しかし、働くことが楽しく生きることを阻害していてはいけないとも思う。そのバランスは難しい。
もし過去に戻れるなら、小学生の私に会って私はこう言うだろう。
「その握りしめた100円が、100万円に思えるような将来の夢を見つけてね」と。