私は、恋をしている。
まったく報われる予定のない、ハッピーエンドなんてない恋だ。その反面、このエッセイを綴っている今ですら、恋していることを認めたくない強情な私がいる。連絡が来ただけで心臓がぴょんと跳ね、反動で身体がほてるこの現象は、“恋”以外の何物でもないことを一番私がよく知っているのに。
本当は、ただひたすら純粋に幸せに邁進したい。いつ会えるかといった、未来のことですらわからなくて、そのさなか一言でもやりとりを交わすだけで、どんなこともへっちゃらになってしまう自分を笑ってしまいたい。こんなの脳内麻薬だ。

あの人と過ごした時間がうつくしすぎて、私を臆病にする

始まりは、はっきり覚えていない。悩みを聞いてもらっていて、連絡先を交換し、メッセージのやり取りをして、二人で会っていた。最初からブレーキをかけていたはずだった。知らぬうちに相手に呑まれていた。

余裕たっぷりなあの人の言動に、私は勝手に腹を立てたり、悲しくなったりしているうちに気持ちはとめどなく身体を駆け巡り、冷めやらぬ熱情は私の中でどんどん大きくなっていった。会ったときに流れていた曲、気持ちと相反する澄み切った青空、まっすぐな夏の日差し、なびく緑、あの人の笑顔。まるで鳥のように俯瞰しながら、その日の情景をありありと鮮明に何度も思い出してしまう。その景色がうつくしすぎて「これ以上の経験がこの先得られないんじゃないか」と思い、これからの日々が怖くなった。

うつくしい何かが自分の中に重なっていくごとに、自分の臆病さに磨きがかかった。それでも月日は私を急き立てた。私はやり場をなくした気持ちをひたすら書きとどめ、繰り返し眺め、追憶することしかできなかった。

深入りしないと決めていたのに…私の心はどっぷり浸かっていた

ある日、あの人から連絡が来た。そこには棘を感じる一言があった。その一言はどうとでもとれるものだったが、そのときボロボロだった私を打ちのめすには、十分すぎるくらいだった。一瞬にして「この人と一緒にいてはいけないんだな」「この人にとって自分はこれっぽっちの存在なんだ」と身をもって悟った。

前々から予感はあったのだ。なんとなく扱いが雑になったことや途絶えがちな連絡、返信のペース、思い返せばきりがない。わかってはいた。「深入りしない」と決めた関係なのに、気づけばどっぷり浸かっていた。「深入りしない」と言っている時点で、逃れられないことはわかりきっていた。

諦めの悪い私は、ネットでいろんな占いを漁って、恋愛コラムを探しさまよい、内容に一喜一憂した。恋が始まったときのいつもの私のそれだった。いや、そもそもこの関係において恋なんて始まっていなかったのかもしれない。きっとそうだ。利害が一致したふたりの逃避行。直視するに堪えられない日常からの抜け道。私は思い出をうつくしくしすぎたんだろう。

私の心はまだ信じてる。でも、きっと終わりかな…

また会ったら、どうしよう。この関係に、“また”なんてあるのかな。「またね」と言ったあの人を信じたいと思う私は、やっぱり懲りない。

こうしてわずかな望みを胸に私は今日も生きていく。いつか来る終わりに、どう終止符を打とうか考えながら。