自分のことを棚に上げて、頑張る他者をバカにするのは簡単なことです。私はそういう場面に遭遇するとすごく嫌な気持ちになります。体育の授業で走り方が特徴的な子がからかわれている様子を見て、「一生懸命走っているのにバカにするなんてひどい。可哀想」とやるせなくなるような、あの気持ちです。

そんな私にも「あ、いまバカにされた……」と感じた出来事がありました。

Facebookの投稿を“仕事バリバリ自慢”と受け取られた

社会人2年目のある冬の日、高校のクラス会に参加していたときのことです。2次会の居酒屋でみんなが二杯目を頼み始めたころ、向かいに座っていた人が突然、「ねぇ、ならきちさんのFacebookって、なんかすごくない?」と声をかけてきました。

高校時代にはほとんど話したこともなかった相手が急に話しかけてきて、私は面食らいました。「え?すごい……かな?」「うん、なんかさ~、仕事楽しいですっ!バリバリです!って感じすごい出してるよねぇ?」彼の嘲笑を含んだ試すような表情に、「あ、これは褒められてない、バカにされている」と感じ取りました。

瞬時に考えを巡らせました。たしかに私はFacebookにしょっちゅう仕事のことを投稿していました。当時は企業広報として働いていたので自社のメディア掲載についてお知らせしたり、記者会見をやったことや海外出張に行ったことを、写真を添えて報告したりしていました。「あれをバリキャリを醸し出す嫌味な投稿と捉えたのか……なるほど」と合点がいきました。

Facebookアカウントを開設した理由は、大学2年生のときイギリスへ語学研修に行くことになり、向こうの人と繋がるにはFacebookが一番良い手段だろうと考えたからでした。その後は就活でも仕事でも大いに活用しました。決して彼の示唆するように“仕事バリバリ自慢”のためでもなく“リア充自慢”のためでもありませんでしたが、「あの発信を見てそう受け止める人もいるのか……」と悲しく思いました。

「意識高いね」と笑われるのを恐れて本音を言えなかった

私は居心地が悪くなって、「あはは、いやいやそんなことないよ、あれはビジネスアカウントだからさ、仕事がんばってる風に見せてるだけだよ~!アピールアピール!」と苦笑いしながら答え、早々に話題を逸らしました。

なんなのこいつ。嫌な感じ。要は「意識高い系ね?」ってバカにしたんでしょ?

トイレで席を立ち、鏡に映るほんのり赤くなった顔を見ながら自問自答しました。私はどうしてこんなにモヤモヤしてるんだろうか……。

なんで堂々と「うん。仕事楽しいよ~」って答えられなかったんだろう。壁にぶち当たって泣くこともあるけど、業務時間外にも勉強会に参加したり、本を読んで知識を蓄えたり、自分なりの泥臭い努力もしてる。成長を感じたり、人との関わりが増えたりして、ちゃんと楽しいと思いながら仕事してるじゃないか。だから普通に「楽しいよ」って言えばよかったじゃん。胸張って返事してやりゃ良かったのに。ホントにダサいな。

人が必死で頑張る姿を上から目線で否定するような輩は一定数いますから、彼のような人たちのことを気にしても仕方ありません。そんなことよりも私は、自分の頑張りが「意識高いね」と笑われるのを恐れて本音を言えなかった自分自身に対して悔しい気持ちになったのです。「周りにどう思われようと私は私だ」って、あっけらかんとしていられるような強さを当時は持ち合わせていなかったんです。

私は冷やかしに屈したくないから、書くことをやめない

時は経ち、私は文章を書くようになりました。noteというプラットフォームを使って妊娠の記録を残そうと思ったのです。

最初は妊娠出産という貴重な経験を忘れてしまわないように自分のための備忘録として書いている感覚でしたが、次第に私のnoteを読んだ友人や知人、時にはまったく知らない方からSNS経由で感想をもらうようになりました。それは素直に嬉しいことで、こんな私の文章が人の役に立てたと喜びました。

自分の文章を公開していることも、歪んだ見方をする人から「意識高いね」とバカにされる日が来るかもしれませんが、私はそんな冷やかしに屈したくありません。

決して上手な文章ではありませんが、私は私なりに、伝えたい相手をイメージし、その人の心に優しく届くように懸命に綴っています。

思えば、会社勤めをしていたときだって自分なりの想いを持って仕事していました。だからやっぱり、まずは私自身が自分のことを肯定してあげないといけませんね。私は書くことをやめない。