わたしは、自分が女子でいることを忘れることがある。
生活に性別が馴染みすぎていて、当たり前すぎていて。

わたしの恋愛観なんて、とっくの昔に消え去ったと思っていたから、久しぶりに誰かを愛せた時は、びっくりしてほんのちょっと嬉しかった。

愛に触れることで、荒んだ心で流れる日々が洗われる気がする

誰かを愛せること。
愛って、すごくない?
自分が犠牲になってでも、その人・もの・ことを守ろうとするんでしょう。
無償の愛ってことじゃん。

愛は動物にもある。例えばペットが、突然倒れた飼い主のために、いつもは出さない大きな声で鳴いたり。

もちろん、動物以外にも。例えば近所のお姉ちゃんが、手を離しちゃった風船を、木に登って取ってくれたり。

荒んだ心でただ流れていく毎日も、愛に触れると洗われる気がする。

自分の意見を持つことはいいことだけど、人を思いやることの方が大切

こんな子がいた。
わたしに「好きな人いる?」って聞いてきた。
色々話したあとに「いつも、『好きな人いる?』って聞くんだよね。誰を好きかわからないじゃん。『彼氏いる?』って聞き方はなんか違和感がある。愛する対象が、男の子でも、女の子でも、両方でも、どっちでもなくても、いいじゃん」

すごいって思った。同時に「ありがとう」と。
その言葉に、きっと救われた誰かがいるよって。

友達にほとんどのことは相談できるけど、恋愛のことだけは相談できない子がいる。
なぜなら、拒絶されたから。

わたしたちは、同性愛について話してた。
いきなり、こう言ってきた。
「わたし、女の子を好きって言われると困っちゃうんだよね。『そっか』としか思えなくて。グイグイこられても、こちらはそれに応えられないし、そっちはそっちで同じような人たちでいてもらえればそれでいい」
寒気がした。
深いところまで話ができる子だと思ってたから。

わかるよ。どうしても理解できないもの。
偉いよ。自分の意見を持っていること。
ただ、残念だった。

みんなが自分の思いを、自由に表現できるようになりますように…

わたしはレズビアンなわけじゃないけど、女の子を好きになったことがある存在として、それを否定されたというか、“わたしには関係のないこと”というひとくくりにされてしまったことが残念で。
「一度でもその子たちの気持ちを考えたことがある?」って聞き返したかった。
でもしなかった。
なんとなく、いつもその子たちが感じてることってこんなことなんじゃないかなって思った。

みんな、生きるのに大変なんだよ。
一生懸命で、精一杯なんだよ。

ゆるくはなったといえ、雑誌のコラムや占いは基本男女の恋愛が説かれているし、好きになった人も自分のことを同じような目で見てくれるとも限らない。

「わたしに、何ができるかな?」って。
「何もしないでいいよ」って、ある子は言ってくれるかもしれない。寧ろ「そっとしておいてよ」って。

みんなの感情に、みんなの関係に、踏み込みたいわけじゃないんだ。
少なくとも、まずは“keep out”と描かれた場所で、みんなが自由になれるように、テープを持つ番犬にでもなろうかな。