大学に進学するとき、奨学金を借りた。毎月8万円。一人暮らしをして県外の大学に通っていたわたしは、この8万円と親からの仕送り、そして少しのバイト代を生活費にしていた。
そして今、大学を出て就職して数年。わたしは月に1万7000円ずつ奨学金を返済しながら生きている。
恥ずかしながら、給料はそんなに多くない。この1万7000円が毎月手元に残れば、どんなことができるだろう。そう思って歯を食いしばりながら、奨学金返済用の口座に入金している。
高校ではみんな当たり前のように大学を目指していたから、わたしも…
大学に行ったのは、正直に言うと「なんとなく」だ。みんなが進学しているから、わたしも進学した。
わたしが18歳まで育った町は、高校の選択肢が少なかった。わたしたちは中学校の成績で上から順に割り振られるように、市内の公立高校に進学した。成績が良い子は、進学校の普通科に進んで大学受験を目指した。そうでない子は、商業科や工業科や看護科がある高校に進んだ。私立高校にも似たり寄ったりの学科が並んでいて、公立高校の“滑り止め”として選ばれることがほとんどだった。
わたしは、こう書いたら自慢のように思われるだろうけれど、“成績が良い子”だった。
人よりちょっと足が速い子や歌が上手い子、絵が上手い子とか、誰の身近にもいたと思う。そんな中、わたしはたまたまテストで良い点を取るのが人より得意な子だった。それだけ。おかげでそんなに苦労せずとも良い点が取れたし、良い点が取れるのは嬉しいから勉強もまあまあがんばっていた。
だからわたしは、成績順で上から割り振られて、市内で一番偏差値の高い公立高校に進んだ。“良い進学校”では、みんな当たり前のように大学を目指していた。だからわたしも大学を目指した。実家にいたのでは、通える大学なんて一つか二つしかないから、同級生の半数ほどは県外の大学を目指していた。わたしも、今の町より少しでも都会で一人暮らししてみたいと憧れて、県外の大学を目指した。
社会人になったわたしに、気軽に借りた奨学金のことがのしかかる
でも、大学に進学してその上一人暮らしもするだなんて、お金がかかる。だから、高校で開かれた奨学金の説明会に行った。そこにはわたし以外にも、沢山の同級生が詰めかけていた。
「大学に行くお金がないなんて、ウチが貧乏みたいで恥ずかしいな」という心のどこかにあった思いは、説明会に集まった生徒の人数を見て消えてしまった。「みんな奨学金を借りて大学に行くんだ。わたしだけじゃないんだ」そう思うと気が楽になった。母は「本当に奨学金借りるの? 本当にいいんだね? ちゃんと返すね?」と何度も念を押してきた。それでもわたしは「みんな借りてるってことは、みんな返せてるってことだろう。それならわたしも返せるだろう」と気楽に構えて、奨学金を借りて大学に進んだ。
結論だけをいうと、滞納もせずに毎月毎月返済できているのだから、あの時のわたしのお気楽な計算は今のところ合っているといえる。
それでもわたしは「この1万7000円が手元に残れば……」といつも考える。
働き始めてから、色々な人に出会った。成績順で上から割り振られたような高校や、その先に進んだ大学では出会わなかった生き方をしている人たちだ。高卒で働いている人や短大や専門学校卒の人とも出会った。彼らに「大学って楽しそうでいいね」「大学行けるって頭良いんだね」と言われる度に、わたしの胸には「なんとなく」の進学のためにお気楽に借りた400万円のことがのしかかる。
返済通知の葉書を見て、自分が働いたお金で生きていることを実感する
白状すると、今のわたしの仕事は大学を出ていなくてもできるような仕事だ。大卒は資格だとか、大卒の方が給料が良いとかいうけれど、残念ながら今のわたしはその“大卒”には当てはまらないと思う。給料、安いし。
だから余計にわたしは「この1万7000円は、一体何のお金なんだ」と感じているのだろう。何のためにお金を借りたのか、何のために毎月少ない給料を削ってお金を返しているのか。その答えはまだまだ見つかりそうにない。
年に一度、返済通知の葉書が届く。わたしが今までいくら返して、あといくら返さなければならないのかを知らせる葉書。あの葉書を見ると、少ない給料でも、頼りない生活でも、なんとか数年間生きて来れたなと実感する。自分が働いたお金で生きている、その足跡を見るような気持ちになる。
完済するまでのあと十数年間も、なんとか生きていけたらいいなと強く願いながら、わたしはその葉書を見て毎年こっそり泣いている。