「仕事ばっかりせずに、ちゃんと恋愛もしなよ~。」今思い出しても腹が立つこの一言は、久しぶりに会った新婚の友達が軽い調子で私に放ったもの。「わたし恋愛してて、彼氏いるんですけど。ていうかそっちが彼氏いなかった10年間、ずっと私彼氏いたんですけど!!!」っていう、(最後の部分は余計な)怒りがわいた。でも、幸せそうな友達にそう言う勇気はなかった。結局控えめに「私、彼氏いるよ」と言うと、「まだ結婚しないの?」と次の一撃。思わず「うるさい!!!!!」と脳内で叫んだ。

結婚したい私と、まだピンとこない彼

結婚ってなに?とこの数年考えてきた。幸せの形だと思っていたけど、20代半ばを過ぎてからの「結婚」は私には冗談抜きで半分呪いのように思える。今付き合っている彼と、結婚の話がとんとん拍子に進めば悩むことはなかったと思う。私は単純な性格だから「一緒にいて楽しくて、年を取った時に『こんなこともあったね』と笑い合う姿が想像できて、何より、大変なことがあっても二人でなら前向きに乗り越えられそう」、そう思えたらもうOK!と思っていた。彼のことが大好きで。

でも彼はそうではなかった。向こうも同じように感じてくれていたけど、それだけで「すぐ結婚」とはならなかった。理由を聞いても本人もよく分かっていないようで、とにかく「いずれは結婚したい。でもまだピンとこない」らしかった。

悲しかった。同じ気持ちじゃないことも悲しいし、彼の頭の中が分からなかった。好きの大きさが違うのかな、とか、いつまで待たせるつもりなんだろう、とか、人間はいつどこでぽっくり死んでしまうかもしれないのに何をのんきな、とか極端に(でも本当のこと)考えてどんどん悲しくなった。一人でいてもそのことを考えるだけで暗い気持ちになった。彼が私をとても好きで大切に思ってくれていることは分かっているつもりだったし、彼も折に触れて一生懸命伝えてくれた。まだ「自分の良いと思える自分」になっていなければ、誰かと結婚するなんてどうしてもイメージがわかない、という考えの人なのかな、と感じもした。「結婚すれば男は家族を養う責任を持つもの」という昔ながらの価値観を持っていることも分かった。

でも、友人から「その状態、遊ばれてない?」という質問が飛んで来るたびズタボロになった。そこまで言わなくても黙りこむ友達がいると、「またかわいそうと思われてるのかな」とどきどきした。自分でもそれが心の片隅にあるから不安になることは自覚していた。彼に思わず「こんなこと言われた」と言うと「俺より友達を信じるのか」と珍しく腹を立てられ、また自己嫌悪だった。

結婚は私の中の地雷ワードになっていた

久しぶりに会う友達とは近況報告で恋愛の話をすることが多かったけど、どんな反応をされるか身構えるのに疲れ、頭が痛くなった。結婚経験の有無でマウントを取られるのもうんざりだし、所詮他人の世界は誰にも分からないのになぜか行われる幸せ比べも嫌。結婚は私の中の地雷ワードになっていた。

久しぶりに会う親戚にも困った。私の幸せを願う叔母たちは口々に「悪いことは言わんから、早く結婚しいよ。子どもも早く産んで、早く幸せになりなさい」と言ってきた。今でも思い出すだけで心臓にものすごい圧をかけられているような気になる。

「そやね」と笑って流したけど、本当は「あのな、私は今すごく好きな彼氏がいて、一緒にいると面白くて、ごはん作ったりおいしいもの食べたり、休みには遠くまで旅行に行くのがめっちゃ幸せやねん。仕事も忙しくてしんどいけど、やっててよかったなあと思うことがいっぱいある。だからもう十分幸せやで」と言いたかった。言えば良かったやん、と今なら思う。でも言えなかったのは、「結婚を望まれてない私」という見られ方が悲しくて、恥ずかしかったからだと思う。自分の幸せを自分で認めることもできていなかった。

なぜ「待ち」なのか。自分の幸せは自分で決める。

正気に返ったのは意外にもこのコロナ禍でだった。

悶々と考えるヒマがあった生活から一転、職業柄、朝から晩まで死に物狂いで働くことになった。新しい人間関係の中に放り込まれ、合わない上司とのやりとり、課せられる仕事とやりたい仕事の折り合いなど、考えることが一気に増えた。

今思えば、一番ぐじぐじと悩んでいたのは東京に引っ越し、遠距離恋愛が始まってからだった。慣れない土地で心を許せる人もできず、自分一人でどうにもできないさみしさを、結婚で埋めようとしていたんだなと思う。

忙しくてボロボロになったけど、ある意味ものすごい勢いで心の中のもやもやが一掃されたようだった。仕事で辛くて悩んだ分、助けてくれた人たちの存在が染みた。もう東京で一人じゃないと心の底から思えた。そうしたら自然に「お互いが楽しみだと思えない結婚をしてどうする?」と思うようになった。

プロポーズはいつ?ともやもやしていたのも、よく考えたらなぜ私が待ちなのか。別に私から言ってもいいだろうし、日を決めて同時に言い合うのも思い出になるかもしれない。結婚時期を決めるのはいつもなんとなく男性で、「言ってくれるのがあと半年遅かったらもう待ってなかったかも」と笑う花嫁を何人も見た。あうんの呼吸で時期を図れるカップルは素敵だ。でも、合うか合わないかハラハラするなら、自分から調整しにいってもいいんじゃないか?二人がなんとなく不安に思っていることを一回一緒に干して、「こうしたら楽しそうじゃない?」を積んでいくのが一番良いと思えた。

彼も賛同してくれた。私は自分の名字が気に入っているから本当は変えるのは寂しいし、だからといって相手の名字を変えさせたくもない。もしかしたら二人の行く先は結婚じゃなくて事実婚かもしれない。もしくは折り合わずにお別れするかもしれない。さみしいけど、そうしたらまた、次に好きになった人と「楽しいこと」を追及していくんだろうし、それはそれで良いと思う。

小学校を卒業するときに書いた「20年後の私」は「やりたい仕事をしながら自分の家庭を持っている」だった。あと4年。なんとなくそこをタイムリミットと思っていたけど、まあいいか、となっている。自分の幸せは自分で決めて、ちゃんと守り通せるなら、なんでもあり。