「給料日」。
私がこの世で一番嫌いな言葉だ。
病気によって雀の涙と化したお金を必死になって貪る日々。通帳に入った途端、生活費で一瞬にしてなくなり、それでも毎月足りず彼氏に数万借りる情けない女だ。ここ2年くらい、通帳でゼロを見ることが当たり前になった。
山ほど服を買ってもダメ男に貢いでもお金に困らない、幸せだった頃
元気だった頃。仕事が楽しかった頃。生活費に困らなかった頃。気付いたら給料日が過ぎていた。色々引き落とされていてもお金は余っていた。好きな服を沢山買い、部屋の中は大好きな通販ショップの箱が積み重なっていた。積み重なっていた箱の中には、着ていない真新しい服が入っていたこともある。「これ、いつ買った?」なんてこともザラだった。ダンボール箱でゴミ袋が裂けることもしばしば。
すごく、すごく幸せだった。
当時付き合っていたクソ元彼氏が生活費を一銭も入れなくても何とも思わずにいたダメ女だった。3年前までは。
病気で全てが崩れていった。情けなくて、悔しくて、他人を羨んだ
突如としてうつ病になり、徐々に給料が少なくなっていく。5万円の家賃を払うので精一杯。
怖かった。
生活出来なくなる時が近付いて来ることがだんだん怖くなっていった。そして来た。もう一人では払えない。クソ元彼氏は浮気をして離れていった。まあ居ても居なくてもお金は入ってこないのだけど。毎月かき集めかき集め、なんとか生活していた。だがどんどん鬱の症状は進行して深刻化していく。そして現在。彼氏にお金を借りて生活する日々。もう本当に情けない。給料日が近づく度に胃が痛くなる。
そして最もダメージを受けるのは私の心ではなく、今の彼氏の貯金と心。こんなお金が掛かる女、付き合ったことを相当悔やんでいることだろう。容易に想像できてしまう。とても責任感が強く、頼られたら例え誰であろうが、私が大嫌いな奴であろうが、断らずに力になってあげたい、救いたいという性格の彼。だから、私と別れたいと思っていても私の生活のことを考え、もう冷めているのに別れられないのかもしれない。最近それをすごく感じる。だから、彼をお金で縛り付けている自分が大嫌いだ。きっと、本来ならば全てにおいて自立していて、将来性のある女の子と幸せに結婚しているのかもしれない。彼は普段から自分の気持ちを言うことはない。だからこそ分からない。彼は26歳。まだ若い。私は28歳。気付いたらアラサー。周りがみんな結婚していて焦っている女。天秤の重りが下についてしまうのも時間の問題だ。
現在病気に配慮して4時間のパートをさせてくれている職場に、勤務時間を長くしてもらえるよう掛け合う毎日を送っている。私の仕事は病棟勤務の看護師。体が資本。でもこの体だ。本当に本当に嫌になる。大人として自立出来ていない自分。看護師として十分に働けない自分。自分の愛する所が全く無い。
生きていく上で何でもお金が掛かる時代。最近、10万円給付によって久しぶりにお金に対して安心感を抱くことができた。たかが10万円、されど10万円。
周りでは、「10万で何しよう?何に使う?」という会話が飛び交う。私は一瞬にして生活費にポーン。素直に羨ましい。そんな会話に私も入っていきたい。でも出来ない。だってポーンだもの。正職員が羨ましい。ボーナスも入ってプラス10万円。なんて素晴らしいの。もはや言葉に出来ない。なんて言えば良いんだろう、とにかく羨ましいのだ。
彼女たちはきっと、心も体も元気。頭痛や腹痛や生理痛は時々あっても、多少休んでも有給で給料は減らない。私はボーナスもなければ、欠勤すれば給料は減る。無い物ねだりとはまさにこのことなんだろうなあ、と。
お金はあるけど生活があるからあの服は我慢だなーって、思ってみたい。思い返して行動したい。冗談で使う言葉での「雀の涙」の気持ちを体験したい。
このままじゃだめだ。出来ることから少しずつ少しずつ、前に進みたい
今のままじゃだめだ。
ただただこの気持ちが私を奮い立たせる。少しでも、彼を安心させる月がほしい。「ああ、今月は自分のために使えるお金があるんだ。貯金出来るんだ」と。それは私にも言えること。職場での勤務態度で表し、また明日から毎日勤務時間を掛け合い、出来ることから頑張る。
少しでも早く、出来ることから。少しでも。少しでも。前に進んで、雀の涙が粒粒辛苦へ。