外出自粛真っ最中だった4月某日、私はすっかり使い慣れたzoomを使って友人に授業の相談をしていた。その時のある会話の場面である。

友「私、基本外出るとき毎日化粧してるよ。バイトなくても」
私「えっ!偉いね。私なんか最近ずっとしてないよ」

私がこの時言った「偉いね」には、特に深い意味はなかったと思う。
しかし、友人が毎日外出時に化粧をしていることについて私が偉いと感じる理由はどこにあったのか。その行為は友人の勝手であり、私がとやかく言う必要はなかったのではないか。そんなことを後々になって悶々と考えた。

就活の時は化粧をするべきなのだろうか

普段の生活でも上記のように化粧は偉いことなのか。つまりすることがよいことなのか。と考えてしまうことがある。
それは特に就活の時。大学3年生になった私は6月になり就職活動を始めたが、インターンシップ等で外に出るとき私は化粧をする。義務感を感じるから。私はそんな義務感で化粧するのはおかしいと思う。それでも抜け出せない自分がいる。それは他の人もそうなのだろう。「普段化粧をしていないから就活が不安だ」そういう声も友人等からよく聞く。本来であればそんなこと考える必要はないのに…。

そもそも化粧するのはどういう理由からだろうか。私は大学2年の時に化粧を始めた。それは自分のためであり、自分がきれいになりたいという欲求からであった。特に人から求められるものではない。それに誰かが「化粧しろ!」なんて言っていたらいささかおかしいではないだろうか。

しかし上記のような就職活動の場面ならどうだろう。大学やスーツを取り扱う小売店などは<就活メイクの仕方>などという広告を大々的に宣伝しているではないか。それでは「就活の時は化粧してくださいね!」と言われていることとそんなに違いはないだろう。それはおかしいと言いたい。

「女は化粧をするべきだ」という考えの刷り込み

普段の話をするとコロナ禍以前、私は学校に行くとき特定の日だけ化粧をして行っており、毎回「アイシャドウこんな感じで今日入れようかな」とか「今日はアイライン引いてみるか」とか初心者なりに一杯考えて化粧した。私は普段する化粧の時間がとても好きだった。

また、私の周りには毎日、あるいは特定の日だけ、特に気分が乗った日だけといった具合で化粧をしている人々がいる。彼らがどういう理由付けで化粧をしているかわからないが、義務感でしていると自覚している人は少ないだろうと思う。
しかし「偉いね」と言ったあの時の私は義務感にとらわれていたのではないか…。私たちには潜在的に「女は化粧をするべきだしないとダメだ」という考えが刷り込まれてしまっていたのか。私はふとこんな結論にたどり着いた。

化粧は義務感でするのは違うと思う

今以上のような問題に触れ、「メイクが必要か」とおっしゃっている方々も多くいる。その中で意見を出させていただくとしたら私は必要ではないと思う。つまり強制的に何らかの圧力によってしなければならないものではないということだ。存在そのものを否定するわけではない。

だが、義務感でするのは違うと思う。だから、今度就活イベントに参加するときは化粧なしで行ってみることにする。