年収1000万円よりも年収400万円のサラリーマンの方が案外幸せだったりする。
そんな話をよく耳にする。幸せとは何なのか…。

私が勤めている会社はお世辞にも、業界的にお給料がそんなに高いとは言えない。
だから残業代で稼いでいると言っても過言ではない。
入社2年目に急に大きな仕事を任されるようになり、残業三昧の日々が続いた時期がある。残業代が十数万円になった月もあった。

お金は貯まった。大きな仕事を任されているというやりがいも感じた。
しかし、幸せだと感じることはなかった。
というのも、毎日の仕事で疲れ果て、週末は寝て終わる日々で精神的な充実が欠けていたからだ。
疲れているから、友人に会おうという気持ちにもなれない。
趣味や勉強、本当はやりたいことがあるけれど、頭がパンク状態で動かない。

そのような生活の中で思い返せば、お金を使うのは毎日の食事程度だった。
同僚と会社近くで食べるランチが唯一の楽しみだったかもしれない。
貯金は溜まる一方で、毎日私は何のために働いているのだろうか…と帰り道に幾度となく自問自答していた。

残業が減ってお金も減った。だけど……

そして気づけばコロナ禍で、状況が大きく変わった。
業績不振により、残業ができなくなったのである。

たしかに、お給料は減った。
しかし、定時で帰宅することができ、自分の時間が増えたことが何よりも嬉しい。
家で趣味のギターや、読書ができる時間が何よりも幸せだ。
そして、忙しいときに一度枯らしてしまってから罪悪感を抱いていた観葉植物を、
もう一度買ってみた。
私が求めていたものはこれだ、と気づいた。
お金、やりがいよりも、「精神的な充実を感じる自分の時間を持てること」。

私にとっての幸せってなんだろう?

幸せとは何なのか。学生の頃から考えることが多く、哲学本を含め色々と読み漁ったが、
いつ幸せを感じるかは、結局は自分が持つ尺度の問題なのではないか。
同じ条件下であっても、幸せと感じる人、不幸だと感じる人がいる。
例えば、「年収1000万円で仕事もやりがいがある。しかし残業が多くなかなか家族との時間を取ることができない」という条件下だとしよう。
Aさんは仕事が大好きでお金があることがなによりも幸せの尺度だと思っている。
一方でBさんは家族との時間を何よりも幸せの尺度としている。
そのため、Aさんはこのような条件をこの上ない幸せだと感じるだろう。しかしBさんは家族との時間をとることができない、プライベートの時間がないなんて不幸だ….と感じるだろう。

わたしは後者のBさんの幸せの尺度を持っているタイプだと自分自身で思う。
どんなにお金持ちであっても、それらを使う暇もない、家族・友人と過ごす時間がないなんて幸せでもなんでもない。
もちろん、お金は生きていく上で大事だ。
しかし自分が幸福だと感じる生活ができる範囲のお金があればそれで良い。

やりがい搾取にNO!大切なのは「中庸」

それに、やりがいがあるから、といって大きな仕事を任せて残業三昧な働き方を社員にさせることはやりがいの搾取だと思う。
わたしはやりがいを求めて今の会社に新卒で入社し、希望の部署に配属してもらった。
どんなに忙しくてもやりがいのために必死で働きます!と新入社員の頃は言っていた。
しかし残業三昧の日々を送って気づいた。やりがいを搾取されている、と。

悩んでいた頃、上司から言われた一言に救われたことがある。
「仕事をしていく上で、中庸が大事だよ」
お金、やりがいのために必死で働いても身体的にも精神的にも壊れてしまっては元も子もない。
何事も中庸、バランスが大事だと。

働き方改革にコロナ禍というダブルパンチで働く環境は大きく変わろうとしている。
中庸を大切に働いていきたい。そう思う入社3年目である。