「お金と心の広さが比例する」はずないんだけど・・・
「やっぱり、お金と心の広さって比例するよね~」
これは、大学の部活中に友人が言った言葉である。当時、この言葉を聞いた私は驚いた。口には出さなかったものの、そんなことはないだろうと思った。どんなに貧しくても心が広い人はいるだろうし、どんなにお金持ちでも心が狭い人はいるだろう。そういう想像力を働かせずに、平気で世の中を全て知ったかのような発言をする友人を少し軽蔑した目で私は見ていた。彼女が言うには、お金があれば人と食事に行ったり人に物をプレゼントしたりできる。人と遊ぶ約束もできる。人付き合いが良くなるから心が広くなる。反対に、お金の無い人はそういう人付き合いが悪くなるから心が狭くなる、らしい。なるほど。先輩に奢ってもらい後輩に奢る、そういう知識や文化を身につけ始めた大学生にありがちな考えだと思った。それで「先輩、凄いです~」って慕われたいのかな?お金さえあれば何でもできるって思ってるのかな?ここまでの考えを脳内で巡らせ、私は彼女に「そうかな~?」ととぼけた顔で返事した。
お金のことばかり考える余裕のない生活に嫌気がさした
社会人になり、自分で稼げる金額が大学生のバイトより圧倒的に増えた。しかし、引かれる金額も増えた。年金、保険、税金。一人暮らしをすれば家賃、光熱費、水道、ガス代。それらは確実に年々微妙に金額を上げてくる。ポストに入った料金改定のお知らせは見るたびに心が沈む。毎月月末から月初めにかけて1か月の収支や予算を計算するたびに、将来を悲観する。無駄遣いしてないのにも関わらず、貯金は思い通りに貯まるどころか崩さないとやっていけない時もある。
月末になると、会社から少し離れたコンビニへ向かう。現金を使わずに日々こつこつ貯めたポイントを使ってランチ代を凌ぐためだ。選べるのは小さいおにぎり2つと一口のおかずが入った弁当のみ。ああ、なんて貧しい生活をしているんだ。
このままで大丈夫かな。同級生は結婚、出産と次のステージへ進んでいく中、私は自分一人を養うのもままならない。生きてるだけで何でこんなにお金が掛かるの?ふと、彼女の言葉が蘇る。「やっぱり、お金と心の広さって比例するよね~」今の私は、お金も無いし心の広さも1ミリも余裕が無い。あれほど彼女のことを軽蔑していたのに、今の自分の置かれている状況が彼女の言った通りになっているのが情けなくて堪らなかった。もうお金の事を考えるのは疲れた。何かが心の中で切れた。私は会社を辞め、実家に戻り、文字通り引きこもりの生活を数か月送る。そして働いたりお金を使ったりする経済生産的な活動から一切の距離を置いて布団の中に籠った。
今なら自信を持って言える。「大切なものはお金で計れない」
2か月ほど経ったある日、さすがにまずいと思い求人を探す。ハローワークに行く。民間、公的機関問わず、可能な限り再就職について相談できる場を探す。そんな中で出会ったのが植松努さんという方の講演のYouTube動画。その中の言葉がすとんと腑に落ちた。
「お金は値打ちが変わってしまうもんだよ。だからくだらない。お金があったら貯金なんかしないで本を買いなさい。頭に入れなさい。それは誰にも取られないし、新しいことを生み出すんだよ」
「お金が必要な夢、お金がないと無理な夢は誰かがしてくれるサービスに過ぎない」
確かに考えてみればそうだ。この世に溢れている物やサービスには必ず誰かがいる。お金はそれらを享受する為の手段にしか過ぎない。そして、いつ天変地異や紛争、不慮の事故、病気でその手段が使えなくなってしまうか分からない。そう思うと本当に来るか分からない遠い未来の為に、今を犠牲にし過ぎるのはどうかと思った。
再び、経済生産的な活動に参加した私。彼女はあの時自分が言った言葉なんてすっかり忘れているだろう。でも、今なら曖昧にせずはっきり答えられる。「そんなことないよ。比例なんかしないよ。そもそも人付き合いの良さや心の広さはお金で計れないよ」相変わらず、年々微妙に金額を上げてくる年金、保険、税金のお知らせにはうんざりするが。そんな時は、YouTubeの「後で見る」リストに保存した植松さんの動画を見返すようにしている。