高校1年生、15歳の時、私は「けち」というあだ名だった。コンビニであれもこれも買う友人の隣で、100円以下で買えるものを1つだけ選んでいて、それを見た友人に「けち」と命名されたのだったと思う。中学生までは友達と買い物をする機会が少なかったので、突然友達に自分のお金の使い方を嘲笑されすごく恥ずかしいと感じた。それでも私は15年もの間、500円玉は特別な時にしか使えないと思って生きてきたし、ずっと付き合ってきた哲学を突然変更できず、「なぜ自分はうまくお金が使えないのか」と悩んでいた。
そんなある日、私はけちの名付け親である友人のピンチを救った。その時、「お礼に、今日から倹約家と呼ぶよ」と言われた。普通なら怒るポイントだったのだと思うが、まるで会社で昇進し、肩書きをもらった気分になり、むしろ自分の居場所を見つけたような気がした。それから「倹約家」という肩書きを披露することで、コンプレックスだった部分を受け入れることが出来るようになった。

6歳で倹約スイッチON。脈々と受け継がれるけちDNA

私は、けちになった理由を覚えている。6歳ぐらいの時だった。母親にアイスクリーム店でソフトクリームをねだった際、たまたま指差した食品サンプルにチョコレートソースがかかっていた。すると母親が耳元で「チョコソースがかかっただけで、チョコなしと比べて50円も高いよ!あのソースだけで50円だよ」と囁いた。この囁きに妙に納得した。これがきっかけで、私の中の「倹約スイッチ」がオンに。ちなみに現在までオフになったことはない。実は祖母はもっとけちで、いつもご飯はおかゆにして、少ない量で満腹感を得ていた。なので、平成時代に栄養失調と診断された伝説がある。そんなけちDNAを持つ私が「倹約家」と呼ばれるのは運命だったのかもしれない。

パンケーキも飲み会も「不要」と決めつけた

コンプレックスを抱く一方で、私は友人らを理解できなかった。なぜ定価販売するコンビニでたくさん物を買うのか。利便性は高いが、お菓子はドラッグストアやスーパーで安く売っているのに、と。私の家庭はいわゆる中流家庭。両親からお小遣いを毎月3000円もらっていたし、アルバイトもしていたので決して貧乏ではなかった。しかし毎月の予算を決めていたし、なによりも本当に欲しいもの、やりたいことのためにとっておきたかった。
大学生以降も毎月の予算を決めていた私は、飲み会や遊びの誘いを断ったり、話題のパンケーキを食べてこなかった。損得勘定で、勝手に「これは不要な飲み会」と決めつけ、毎月通帳に記載される数字が増えるのだけを楽しみとする生物になっていた。そして気づけば26歳。実は、少しお金との付き合い方を見直し始めた。金額が全てではないのかもと思わせてくれる人物が現れたのだ。

お金がないんだから仕方がない、でしょ……?

私の哲学を変えるきっかけを作った人物は2人いる。1人は、5年前、大学生だった頃、オランダを旅した時に出会った男性だ。旅行前に日本で出会ったオランダ人女性がいて、彼女のパートナーの男性だ。これまで色んなところを旅してきたらしく、自分の国に来た人はもてなしたい、と料理を作ってくれた。やや物価の高いヨーロッパの国々を限られた予算の中で観光地を回れるだけ回るという貧乏旅行をしていた私は、いつも安いパンを口にし、レストランで食事をしていなかったので、とてつもなく美味しく感じた。
せっかく日本からはるばるオランダに来たというのに、1つでも多くの観光地へ行くことばかりに気を取られる私に彼がこんな言葉をかけた。「いい旅は観光地に行けばいいということではないと思うよ。カフェやレストランに入ってその土地のものを食べるとか、コーヒーを買ってどんな人がどう生活しているか観察するものじゃないかな」。当時は、彼の言葉に賛同しつつも、「そうは言ってもお金がない」と心の奥では否定的だった。それでもこの言葉は旅が終わってもずっと私の中にあった。なんだか分からないが、お金を出しても得られないことをし損ねているような気がした。

強くしめすぎていた財布のひも。気付けば「経験」を逃していた

そして最近、2回目の転機が訪れた。私は近頃ライターとして仕事しているが、その中で出会ったある有名雑誌に寄稿する女性ライターの言葉だった。
私は数年前、デンマークに自費留学した。帰国後に、留学中のことを彼女と話していた時、「ノーマ行った?」と嬉しそうに聞かれた。ノーマとは、首都コペンハーゲンにあり、世界一のレストランと呼ばれている有名店。倹約家の私はもちろん行っていない。すると、彼女は少しがっかりしたように「せっかくデンマーク行ったのにもったいない。そこで食べた、という経験が今後記事を書く上で役に立つかもよ」と言った。
ハッと気づかされた。他の店と比較して、どんな味だったのか、雰囲気はどうか。そういったことを知る機会を失っていたのだ。せっかくお金を貯めて行ったデンマークをめいっぱい楽しむ努力をしなかったのだ。私はただ、デンマークに行っただけで、何もしないで帰ってきたのと変わらないではないか。きっと、パンケーキを食べなくても、ノーマに行かなくても死なない。ただ、もしパンケーキを食べていれば、ノーマに行っていれば、人生は豊かになっていたのかもしれない。
ふと、オランダでの彼の言葉を思い出した。ああ、こういうことか。ようやく納得した。ずいぶん時間がかかってしまったが、今からでも遅くない。使うべき場面でお金を使おう。いつか「倹約家」以外の素敵な肩書きが見つかることを願って。