子供ながらに、お金の怖さを知っていたと思う。
私は親に、我が家は貧乏なんだと、繰り返し聞かされてきた。
だから、病院かどこかの待合室で、ホームレス中学生が流れていた時、
いつかはうちも取り立て屋とか来て、家を追い出されるんだなって思ってた。
子供って素直だから、言われたことは割と信じてしまう。
疑うにはあまりにも無力で、刷り込みができるくらいには理解は十分だった。
なぜか家には段ボールがいっぱいあって、私はいつか外で暮らすかもしれないって思っていたから、弟と一緒に秘密基地を作る遊びをたくさんしていた。
現金を持っていると、これからは持てなくなってしまう気がした
おばあちゃんたちは子供の私に、よく図書カードをくれた。
我が家には、お小遣い制度がなかった。だから、現金に馴染みがなくて、アレルギーみたいに敏感に反応してしまう自分がいた。
現金を持っていると、これからはもう持てなくなってしまうような気がして、
いま突然幸せになってしまうような気がして。
幸せになるのはいまじゃない、
ちゃんと大人になれてから、幸せになりたい。
子供は無力だから、せめて大人になってから、この家族を救いたい。
たまに現金をもらうことがあったけれど、必ずママに預けていた。
図書カードだけ、自分の巾着に。
お財布も、どうせ使わないなら要らないから、お菓子をもらった時についてきた巾着を使っていた。
どんどん、カードが溜まっていく。
嬉しいけど、同時に、目に見えて増えていくカードの厚さに、いつか急にこれが無くなっちゃうんじゃないかという焦燥感もあった。
図書カードを使って、小さな豪遊をした
お金がないと、人は幸せになれないけど、
わたしはお金があっても、幸せになれなかった。
私にとって、お金は喜びよりも不安材料で、大した金額でもないのにうまく扱えず、持て余していた。
結局幸せになれないなら、使ってしまえ。
ある時そう思って、近くのイオンに連れていってもらった。
そこには図書カードも現金のように使えるお店があって、わたしはそこで小さな豪遊をした。
別に欲しいものがあったわけじゃない。
とにかく、自分の持ち物からお金をなくしたかった。
題名は聞いたことがあるけど読んだことのない本、ばかにでかいぬいぐるみ、食べたら太るに決まっている甘いクッキー。
とりあえずなんでもカゴに入れた。
レジで、「図書カードでお願いします」って言った時の、ちょっと恥ずかしくて、でも誇らしい気持ち。
まだ小さかったから、カウンターに背が届かなくて、おじさんがカゴをひょいと持ち上げてくれた。
思えば、初めてお店で買い物をした。
お金で目に見えないものも買えることを知った
わたしは、ものをねだらないよく出来た子だった。
よくでき過ぎていた。
親が子どもにお菓子を買ってあげる光景をよく見るが、わたしにはその親切さえも受け取らない意地があって、受け取ったとしても後で隠れて弟にあげていた。
お金が嫌いすぎて、自分から遠ざけていて、使う練習もできず、
今思うと初めての買い物は全くの無駄遣いだった。
あの時のお金をとっておけばよかったのになあって、貧乏な考えはまだ治らない。
だけど。
無駄だったからって、ゼロなわけじゃない。
経験を、学習を、感動を、静寂を。
お金で、目に見えるものだけじゃなくて、目に見えないものも買えることを知った。
すごく、豊かになった。
だから、よかったんだと思う、これで。
いまだに、私がママに預けていたお金の行方は謎で、もしかしたら本当に困っていたのかもしれないし、私が独り立ちした時に持たせてくれるのかもしれない。
現金アレルギー。
ちょっとずつ、治っていったらいいな。
私はいま、痛くて、幸せだよ。