私は、人が食事している姿を見るのが好きです。私の母はあまり料理が得意ではなく、母の味で思い出すのは味覇で味付けされた野菜炒め。(味覇が最強の調味料なので失敗しないそう)
そんなこともあり、私が高校生の頃、父と別れた母は私と妹を支えるため必死に働いてくれていたので、夕食は私が作るようになりました。きっかけは覚えてないけれど、母を手助けしたかったのかも。
私は料理が好きだったので、スパゲティにハンバーグ、妹の好物をたくさん作って、食べ盛りの妹の口にどんどん吸い込まれていく様子を見ると心が満たされて嬉しかった。そのせいで妹は少し体格が良くなってしまったけれど(ごめんね)。
何より母も喜んでくれたし、美味しい美味しい、と言いながらご飯を食べている姿って、見ているだけでとても癒され、幸せを感じます。料理を作ることで褒められて、美味しそうに食べる姿を見て、私の生きる活力になっていたのかもしれません。
食事をする動画の、咀嚼音を聞くのにはまった
上京してからは一人暮らしなので、ストレスがたまった時は「コノヤロー!」と憎しみを込めながら料理を作ってストレス発散していました。ですが、食べてくれる人がいなくて寂しかったのを覚えています。
そんな私がはまったのは“ASMR”動画でした。ネット上に多く投稿されているのですが、簡単に言えば、気持ちいい音を聴く動画です。ささやき声とか、キーボードのタイピング音とか。私がその中で特に好きだったのは食事をする動画。硬いものや良い音がする食べ物を食べたときの咀嚼音ってすごく気持ちいいんです。ネットでは色んな国の人が食べ物を食べる動画を投稿していて、美味しそうに食べる姿は私の癒しになり、寝る前の習慣になりました。
そういえば、高校生の頃も同級生のお友達の食べる姿と咀嚼音が好きで、一緒にお弁当を食べる時に耳を澄ましていたので「恥ずかしい…!」って嫌がられてたなぁ。
食べる、という事は、生きていくことに繋がっている
食欲は人間の3大欲求のひとつ。以前は風俗の広告代理店で働いていたのですが、上司の「人間の3大欲求に関わる仕事は廃れない」という言葉が強く印象に残っています。
私は今も“3大欲求”の“性欲”に関わるであろう、アダルトグッズメーカーで働いています。その経験の中で思うのは、食欲がないと性欲が成り立たない! という事です。もちろん3つのバランスが整ってこそ。やはり、ご飯を食べて健康な体あってこその性欲なんだと思います。エッセイのテーマの通り、食べる、という事は、生きていくことに繋がっていると感じます。
これからは恋人に手料理をいっぱい振舞って、美味しそうに食べる姿を糧に毎日頑張るぞー!と思っています。手料理で好きな人の体を作るって凄い事だと思いませんか。