「何かを手に入れるということは何かを捨てるということです」
そう院長先生が高校の卒業式で言った言葉は、私に向けられた言葉だと感じた。

私は海外大学への進学を選択した時、すでに日本の大学の推薦をいただいており、その推薦を辞退するか迷った。海外大学から合格をもらえなかった時のことを考えて推薦を受諾し、最悪1学期だけ通うことも考えた。結果的に推薦をいただいていた大学は、私立大学だったので入学金が高く、それを払うほどの余裕はないと思い辞退を選んだ。

しかし、学校側としては大学との関係性や他にその推薦権を必要としている同級生のためにも、辞退するなら早い段階で辞退してくれという感じだった。

私は「何かを手に入れるために、何かを手放す」ように意識していた

そして高校卒業後の進学先が、まだ決まっていないまま迎えた卒業式で言われた冒頭の言葉。
その時は、とってもしっくりきた。確かに逃げ道を確保していたら覚悟がつかないと思ったし、その後日本の大学の推薦を手放し、逃げ道を断ったことで、海外大学の合格をもらえたのだろうと思った。院長先生の言葉は正しかったのだと思った。

それ以来、何か本当に欲しい物があった時、私は何かを手放すことを意識するようになった。

就活の時も、そうだった。内定を早い段階でもらった会社はあったが、本当に行きたい会社を見つけるためにはその内定を手放さないとと思い、内定を辞退して再度就活に取り組むことにした。そしてその後無事、他の会社から内定をもらうことができた。

何かを手に入れるために何かを手放すって、こういうことだろうと思っていた。
ちゃんと手放したから、欲しいものは手に入るだろうと思うようになった。

欲しいもの全部手に入れようとしたら、いけないのだろうか?

でも最近、この言葉は本当に正しかったのだろうかと疑問に思うようになった。
「本当に欲しいものを手に入れるために、何かを手放さないといけない」って誰が言い出したのだろう。全部手に入れようとしたら何がだめなのだろう。本当にそこにはトレードオフの関係があるのだろうか。

これって、もしかして、全部手に入れられなかった人が言い出したことなのじゃないのだろうか。何も手放さなかったから手に入れられなかったんだと思ってしまっただけじゃないのだろうか。

就職という大きな選択が終わった今の私にとって、これから迫られるであろう大きな選択といえば、転職・結婚・出産かなというところだ。これらの選択を迫られた時に、私はまた、何かを手放すことを選ぶのだろうか。

働き方が多様化している今、副業可能な会社が増えてきたこともあり、複数の企業に関わることが可能になった。昔は一つの会社で働くが通例だったので、何か新しいことに挑戦したければ何かを手放す必要があった。そういう意味で仕事面では、プロボノや業務委託、副業といった形で全て手に入れたい!と思っている人が手に入れられるような社会にすでに変わりつつある。転職については、何かを手放す必要がなくなっているのかもしれない。

これから自分が選択しなきゃいけない時、私は全て手に入れたい!

しかし、結婚・出産に関してはまだ違う気がする。今のままだと何かを手放すのかもしれないと正直思った(まだ相手もいないのに先を考えすぎな気もするが、それはさておき)。日本ではまだまだ、仕事で出世していて、素敵な旦那さんと可愛い子供がいて家庭も円満ですみたいな女性が少ない。

私は働き始めてまだ3年目だが、それがどれだけ難しいことかも実感するようになった。子育てに謀殺されている女性も見てきたし、恋愛は諦めたと仕事に打ち込む人がたくさんいることも知った。やっぱり、仕事も家庭も両方手に入れるって難しいんだと思った。

もしかして先輩方も両方手に入れようと挑戦してみて、思うようにいかなくて結果的にどちらかを選択せざるを得なかったのだろうか? もしかして、将来の私も両方手に入れようとして、中途半端になって、やっぱりうまくいかなくて、やっぱりあの言葉は正しかったと思うのだろうか。

それでも、例えその選択を迫られた時、まだ日本社会が今と大きく変わっていなくても、私は全部手に入れることを選んでみたい。

もう「何かを手に入れるためには、何かを手放さないと」なんて考えない。全部手に入れたいと思うことは、悪くない。わがままに生きてもいいと思う。人生1度きりなんだから、誰かに遠慮して、周りの目を気にして、何かを手放すなんてもったいない。

「何かを手に入れるということは、何かを捨てるということです」
そんな言葉なんて、もう相手にしない。